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劇伴

前回の日記は、やっぱり長かったね(笑)
さて、今日は五反田のイマジカに行ってきました。正月の日記に録音風景を書いた映画の試写会です。 (98%できあがっていて、関係者のみに見せる0号というものらしい)
録音をしているときは、モニターテレビでブツ切れの映像に音楽を入れていくので、内容がよく分からなかったのですが、それらがすべて繋がってやっと全体の流れが読めました。 音楽もすべて入って、しかもスクリーンの大画面で見るのは、やはりいいものですね。
幼児虐待をテーマにしたシリアスな内容で、ほとんどピアノ1本で世界観を作っていくので、ピアニストがピアノと音色に凝るのもわかる。ともかく「枯れた、哀愁の漂う音色して欲しい」というピアニストのリクエストは、我が1887年のホロヴィッツピアノにはピッタリだった。
映画が進むにつれ、会場からはすすり泣きも聞こえ、そしてエンディング。
主人公の老人が刑務所から立ち去っていく後ろ姿をカメラがずっと追いながら、エンドロールがゆっくり上がっていく。 一通り出演者の名前が通り過ぎると、やがて音楽関係者の番になる。
どれどれ・・・と見ていたら、ピアノプロデュース:高木 裕、そして使用ピアノのところに、
協力:タカギクラヴィア(株)の文字が、出演者と同じ大きさの文字で流れる。 その後には録音スタッフ全員の名前も・・・。
事前にピアニストより「ばっちりエンディングに名前を流しますから!」と聞いていたけど、実際、映画館のフルスクリーンで見ると、大げさで恥ずかしい。
これがテレビだと、時間の関係でクレジットはあっという間に流れてしまうので、よほど動体視力が良くないと読めない(笑)。
ピアノや調律師は本来は裏方で、ほとんど表には出てこないけど、とても重要な仕事だということが、少しでも世間にわかってもらえればありがたいし、またそれが、わかってくれるアーティストと仕事をすると、こうやって気持ちを返してくれる。 ちょっと照れながらも、嬉しい瞬間でした。


チー・ユン

昨年5月に、北九州・響ホールで収録したチー・ユンのCDが、DENONから送られてきた。
(発売は昨年11月。録音に参加すると、レコード会社よりサンプル盤が送られてくる。)
曲目は、R.シュトラウス及びブラームスのヴァイオリン・ソナタ。

13歳から両親と共にずっとニューヨークに住み、バリバリのニューヨーカーに育った彼女は、実に魅力的でスタッフの人気者。そのチー・ユンと久しぶりの再会だったので、懐かしくて楽しみな録音だった。彼女とは、1992年から93年にかけて、3枚ほどレコーディングでご一緒しましたが、その中でも忘れられないのは93年のニューヨーク録音。
前年の録音で使用した、秩父ミューズパークのニューヨーク・スタインウェイ(以下NYSに統一)をみんなすごく気に入ってくれて「次回の録音はニューヨークでやろう!」ということになった(バブル真っ最中でしたからねー)。
ピアノのことは、全て私の担当だったので、早速ニューヨークのスタインウェイ本社ショールームのジーンに、ピアノを貸して欲しいと手配しました。もちろん使用料は無料、運送費のみ支払う。
さて、使用するピアノの選定当日、スタインウェイのショールームで調律をしていると、のこのこと日本人が入ってきました。どっかで見た人だな・・・。
二人で顔を見合わせて同じ言葉を発しました。「あれー?何してるの??」
そう、その日本人は、江田 礼(笑)だったのでした!
私は「今日、今度のレコーディングのピアノを選定しに、ピアニストが来るんだよ」
彼は「今度のレコーディングで使うピアノを、ここで選定するように言われたんですよ」
あれれ!そうか。顔を見合わせて二人で大笑い。私は別のピアニストと勘違いしていたし、彼は調律師の名前を聞いていなかった。ウソような本当の話。
結局、確かブレンデルの貸出に使ったものが、最もNYSらしいブリリアントな音がするということで、5台の中から一番古いピアノを選んだ。コンサート部お決まりのサイド・プロテクト・バーが付いた、ボディが傷だらけのMODEL-Dだ。これでピアノは決まった。

レコーディングは、ニューヨークから50キロほど北上した「ライ」という町の古い教会でやることになった。もちろん日中は教会として使用しているので、録音などに貸すのは18時から24時までとなっている。スタインウェイ社にピアノの運送を頼み、私は一旦帰国。というのも、録音は5月27~29日なのだが、実は5月27日には御茶ノ水カザルスホールで、3月に東京に送ったフルコンのお披露目コンサートがあった。これは今、F1と呼ばれているフルコンの記念すべき第1回目のコンサートだから、絶対に抜けられない。そこで例の日付変更線のマジックがまた登場する(笑)
慣れていないホールで録音する場合、初日はほとんど機材のセッティングに費やすことが多い。
本格的に録り始めるのは2日目からだ。ということは、27日に東京でのコンサートをこなして、28日は夕方成田発のUAではなくて(その頃は、成田発UA800便で発ち、JFK発UA801便で帰国するパターンがほとんどだった)、朝11時発の全日空で成田を発てば、時差のマジックで同じ28日の朝11時にJFKに到着する!JFKで車を借りれば、遅くとも夕方にはライの町につくはず。
それならば、初日のピアノ・セッティングだけを、スタインウェイ・コンサート部の誰かに頼めば、本格的に録り始める2日目には現場に間に合う。

心配そうなDENONのスタッフを「安心してよ、2日目には必ず行くから」と送り出した。
スタインウェイ社からは「初日はコンサート部のエド・コート(なかなか腕の立つ、初老の調律師)を行かせる」と連絡が入ったので、すっかり安心して、東京のコンサートに挑み、それは大成功に終わった。さて、あとはニューヨークに行くだけだ。エド爺さんはうまくやってくれてるかな?なんて思いながら、鼻歌交じりに車を運転してライの町へ。
教会に着いて、ドアを開けると暗ぁ~~~い雰囲気だ・・・。エンジニアの岡田さん(DENONの看板ミキサー)が、「高木ちゃん、ピアノの音聞いてよぅ、モコモコだよ」 げげげ・・・。
弾いてみて耳を疑った!スタインウェイ社で選定したときのキラキラした、最もNYSらしいスーパーブリリアントはどこへやら、もこもこぽこぽこ、あれれれれ!である。
東京で、あれだけNYSのスーパーブリリアントを力説して、実際に聞かせ、みんなが喜び、その素晴らしいスーパーブリリアントを録音するためにニューヨークまで来たのに・・・。
「なんじゃこれ?」と言葉には出さないが、みんなの顔に書いてある。これを解決するには、整音をやり直すしかない。

NYSの整音方法は、柔らかいフェルトのハンマーを硬化剤(彼らはハンマージュースと呼ぶ)で徐々に固めてブリングアップしていく硬化剤の芸術だが、使い方によっては毒にも薬にもなる。 ハンブルグのハンマーは、固く巻かれたフェルト(NYSの連中は固すぎると言う)を、針でほぐしてブリングダウンしていくので、基本的にはまるで逆だ。(このことは、93年5月号の月刊ショパン誌に掲載された、フランツ・モア紹介記事の中にも書いた)。
まさかこんなことになっているとは思わなかったので、ハンマージュースは持ち合わせがない。(飛行機の中に、揮発性の液体は持ち込めないし)。
結局みんなのがっかりした表情のなか、針の筵のような状況で、その日の録音は進められた。
唯一「明日は必ずなんとかするから、今日はもこもこでも支障がない曲を先に録って」という、私のわがままだけは聞いてもらえた。

その夜は、時差ボケのぼんやりした頭で、明日どうするかばかりを考えた。悪いことに翌日は日曜日。スタインウェイの工場もやっていないし、パーツ屋さんも休み。時間がない。 頼んであったエド・コートは何をやってしまったのだろうか? 今更そんなことを考えてもしょうがない・・・気がついたら朝だった。
よし!こうなったら硬化剤を作るしかない。幸い、ホテルの隣はスーパーマーケット。開店と同時に店に入ると、まっすぐ化粧品売場に向かい、ある物を探した。それはマニキュアの除光液。
成分はアセトンなので、硬化剤と同じなのである・・・あった!
ホテルに戻って、さっそく除光液にアクリルを溶かして、サバイバル硬化剤の出来上がり。
本来は、鍵盤を溶かして作るので白色なのだが、今回は何かのケースを砕いて作ったので透明だ。ふむふむ・・・この方がハンマーに色がつかないから本物よりいいかもしれない、などと思いながら早めに教会に向かい、整音開始。
「何とかなってくれ・・・」ハンマーの腰に硬化剤を注射する。芯を固めてから細部を慎重に固めていく。その後、針一本で音色を作っていく。没頭しているとあっという間に時間が過ぎた。
そして調律。 遠巻きに見ていたDENONのスタッフも大喜び。「これこれ!この音、この音!」

満面の笑顔を見て、肩の荷が下りた。 薄氷を踏む思いで作ったフォーレのソナタ。高音部のキラキラした輝きは、こうやって生み出されたのです。今だから話せる裏話。
悪銭苦闘して、アーティストを影で支える裏方の仕事は、ひとつひとつの修羅場を越えるたびに、キャリアとなって積み重なっていく。

このアルバムの詳細は、チー・ユンのホームページにも載っています。もちろん、この話は裏話だから載ってないけどね(笑)
http://www.chee-yun.net/faure.html



ホリエモン逮捕

この日記帳で、政治的な話を書く気はさらさらないけれど、日記にしては長い話が続いたので、ちょっと話題を変えて、今日はホリエモン。
私は株やギャンブルは一切やらないので、この事件の被害者は一体誰なのか・・・と思う。
単なるマネーメーカーに乗っかって、自分も金儲けしようとたくらんだのが外れただけじゃないのかな?
ギャンブルに損は付き物。どっちもどっちに見えるけど、その点、ヒューザーは別だよね。
一生のローンを組んだ自宅が、砂上の楼閣だったら、お金だけじゃなくて、命まで失うんだから。
ライブドアには、東大をはじめ一流と言われる大学を出た人たちが集まって、マネーゲームを繰り返していたようだけど、この「お勉強はできたのであろうが、決してお利口ではなかった人」たちにも、是非、人材不足のこの業界にどんどん来ていただいて、その才能を、マネーゲームで自分だけ豊かになることじゃなく、心洗われるような音楽で人の心を豊かにしてあげることに使ってもらいたい。その方が、よっぽどやりがいがある仕事だと思うけどなぁ。
いくら倍の給料をもらっても、嫌な仕事をして毎晩居酒屋でストレス発散するような人生はつまらない。何千億儲けたってことより、やりがいのある好きな仕事に夢中でいられることの方が、精神的に豊かだね(笑)。
いやはや、技術屋でよかった!


長距離トラック

今月は珍しく、地方の出張ツアーがない。
関東近辺のコンサートや、レコード会社のスタジオなどが連日続いている。
今日は、渋谷のタワーレコードでのインストアイベントに持ち込み。東京は朝から大雪だけど、昨年末の「魔の名古屋大雪」に比べれば屁でもない。無事、搬入出完了。
来月は、富山、新潟、仙台と雪国に出張があるから、ちょっと心配だ。しかも新潟の翌日が仙台、ということは、夜中に山形自動車道を走るってことか・・・。
ピアノはエアコンで定温定湿に管理されているから万全だが、事故が心配。いくらスタッドレスタイヤを履いていても、アイスバーンになれば同じ事。そうなると運転手は私になる。
それでは長距離で活躍するトラックの話を少し・・・。
もう15万キロを走破した2号車の日野デュトロ(3t車)には、100ボルトの発電機を載せてあるので、エンジンを切っても、電源は落ちない。
荷室は、厚さ5cmの断熱材でできた冷蔵車の箱に、100ボルトのエアコンと除湿器装備で、常に一定の温湿度管理ができるようになっている。実際、外気温38度の猛暑の中でも庫内は25度に設定しておけば快適!大抵は、前回お伺いしたときに計測した本番ステージ上の温湿度に設定する。
ピアノは、通常の運搬方法と違い、水平(演奏する状態)のまま運ぶので、スペースを取る。
3tロングボディのトラックでも、フルコンが1台しか入らないが、こうやって運ぶと温湿度の管理も併せて、ピアノの状態は完璧!調律の狂いもほとんどない。
1tのパワーゲートをつけたオートマのデュトロ号と、指一本で動かせる電動のピアノ運搬車「ごぶちゃん」のコンビは、華奢な女性一人でフルコンをステージに運ぶために開発した世界に一つしかない運送システムだ。改良に改良を重ねたこのシステムは、最初から女性一人でフルコンが運べることを目指した。
なぜなら世界中どこでも、ピアノの運送は、大男が「よいしょ、よいしょ」と重そうに運ぶのが当たり前だから、それを打ち破る画期的な方法を考えたかったのである。
コンサート前夜、スタッフがフルコンをトラックに乗せ、夜通し走り、朝9時に名古屋や大阪のコンサートホールに到着。搬入してステージ上にピアノを設置。
これを女性一人でやってのけると、目を丸くして見ていたホールのスタッフたちは拍手喝采(笑)
そんな頃、私は飛行機や新幹線でピアニストと一緒にホールに到着する、そして調律。
最初はそんな感じだったが、やっぱりトラックを交代で運転して、いろんなパーキングで旨いものを食べ、ピアノをステージまで運び「今日は6分で搬入できたから、5分で搬出するには・・・」などなど、次の改良ポイントを探したりするのが楽しくて、いつのまにやらトラックに便乗することが多くなった。やっぱり現場の方が楽しい。
汚い格好をしてピアノの下に潜り、ペダルを取り付けていると、会館の担当者から「あのー・・・調律師の人は何時頃来るんですか?」と聞かれることがある。
そんなときは大抵、ピアノの下から「さぁ・・・もうすぐ来ると思いますよ」と答える。
設置が終わって、楽屋で着替えて調律を始めると、さっきの担当者がキョトンとした顔で見ているのが面白い。未だに調律師はスーツにネクタイという固定観念があるようだ(笑)。



缶無料?

最近、会う人ごとに「日記読んでますよ」と言われる事が増え、毎日、全国からメールや手紙も頂く。また、調律師やピアニストと思われる人たちからは「もっと技術的なことも書いて欲しい」とのご要望もあり、まさに缶無料(感無量)瓶有料。
最近、こんなシャレを言うと、若い女の子に「オヤジギャグ」だと言われる。シャレの内容は子供の頃から変わっていないのに・・・(笑)
ちなみに「缶無料、瓶有料」というシャレは、いつ思いついたのか覚えていないけれど、少なくとも内容からして、東京都がゴミの分別化を始めた以降のことだろう。
しかしその頃は、こんなシャレを連発しても、誰にも「オヤジ」と言われた記憶がないので、最近見た目も急速に「オヤジ化」したって事か・・・(苦笑)。


空飛ぶ調律師

正月のレコーディングが終わって、2日ほど休めた。スタッフも遅めの正月休みからぞくぞく戻ってきて、そろそろ今年もエンジン全開!
会社に戻ってくると、今年もいろんな面白そうな仕事が舞い込んでいる。出張も熊本や仙台や北海道のツアーなど様々。研究生からうちで育った人は慣れているが、他から中途入社した調律師は、最初かなり戸惑うらしい。
仕事の範囲が全国に及んでいるので、移動距離はハンパじゃないし、ピアノを運んだり、アーティストの付き人をしたり、レコーディングで急に譜めくりを頼まれたりと、仕事の内容は多種多様。
しかもスケジュールというのは不思議と重なるもので、一般家庭の調律なら日程の変更も可能であるが、コンサートやレコーディングのスケジュールは変更できない。
そうやって決まったタイトなスケジュールの中に、どうしても・・・とお願いされる仕事や、急に変更になる仕事が割り込むこともある。そうなると、現在10台ある貸出用コンサートグランドピアノはフル活動!ピアノや調律師の手配は、毎回パズルのようになる。おまけに地方のコンサートホールのピアノ保守管理までやっているので、なおさら出張は増える。
ひとたび仕事が重なると、のんびり移動していられないので、スタッフは調律鞄を持って、飛行機や深夜バスで行ったり来たり。
ピアノを積んだトラックがフェリーで九州から移動中に、その上を別のスタッフが飛行機で追い越したり、徳島から戻ってくるスタッフと、関西に行くスタッフの深夜バスが、東名高速のどこかですれ違っていたり(お互い寝ているから気が付かないけれど)、こんな状況になることがよくある。経費など考えていたら、こなせない。
ただただ責任の重さと、いつものピアノといつものスタッフでアーティストが安心する顔が見られるから「物理的に完璧に不可能」以外は、多少無理なスケジュールでも断らない。
時にはいきなり「来週、フランスに一人で行け!」なんてこともある。
スタッフにとっては、毎日いろんな事が経験できて、平凡でない刺激的な人生が送れて楽しいだろうと、私は勝手に思っている(笑)。
いずれにしても、朝早くから夜中まで、一生懸命がんばってくれているスタッフに、連休で休ませてあげられるのは、この時期しかないので、無理矢理休ませる。
無理矢理というのは、そうしないと自主的に休まないからである。
こういったスタッフと共に、また新しい1年がスタートできることに感謝である。



映画音楽の録音

新年早々、1月7~9日はレコーディング。今回はCDではなく、映画音楽。
一般的には劇伴とかサウンドトラックとも言います。
モニターテレビにタイムカウンターの入った映像を流しながら、曲を入れていきます。
ピアノがメインで、何曲かはチェロとクラリネットが入ります。最近のこういった録音はほとんどがスタジオで、しかも打ち込みによるものが多いのですが、今回は自然なアンビエンスが欲しいとのことで、ホール録音になりました。
曲は全てオリジナル。映画の内容が幼児虐待をテーマにしたもので、ピアノはなるべく明るくない枯れた感じの音に仕上げてくれとの依頼だったため、クラシック以外では使用するのが珍しい1887年のスタインウェイを使用した。
この楽器は中音域の設計が少し変わっていて、フォルテピアノに近い音がするので、なぜかノスタルジーを感じさせる。最近のピアノでは絶対出せない音が出るので、こういった場面にはぴったしだった。
この映画はカンヌやベネチアの映画祭に出品されるらしいので、「賞でも取ったらスタッフともどもカンヌに行こう」とか「最後の字幕にスタッフロールが出るけど、日本語だから読めないだろう」とか、打ち上げでは馬鹿な話に花が咲く。
それにしても秩父は寒い。今夜は内緒のお店で、みんなで熊や猪の鍋をつつきながら、岩魚の骨酒を飲んだ。その地方のうまいものにありつけるのも、出張録音の楽しみの一つ。



3度のハッピーニューイヤー

今年は2006年。21世紀に入ってもう5年!
子供の頃に見た、鉄腕アトムや21世紀SF漫画では、車が空を飛び、宇宙旅行やタイムマシーンは当たり前のはずだったのに、何だかあんまり世の中変わってないような気がするなあ・・・。
「20世紀から21世紀へ」と言えば思い出すのが、まさに世紀末の2000年12月。
12月26日から28日までニューヨークのアッパーウエストにあるAmerican Academy of Arts & Letterというホール(マンハッタンではおなじみのホール)で、フィリップスレーベルによる、ショパンとドビュッシーのチェロソナタのレコーディングに参加した。
ピアノはTAKAGI KLAVIER USA INC.の貸出用フルコンの持込。
このホールではもう何枚もCD録音をやったことがあるので、クセもわかっているし、慣れた楽器だからと、軽い気持ちで引き受けた。
気になると言えば、日本での最後の仕事。28日夜に録音が終わって、30日の朝JFKを飛び立つと、日付変更線の関係で成田着は31日大晦日の午後。
この日は池袋の芸術劇場大ホールでカウントダウンコンサートがあった。しかしスタッフがピアノを運び、調整も任せておけるので、私は成田から池袋に直行すればリハーサル、本番立会いには十分間に合うはずだったが・・・甘かった。

レコーディングは予定どうり順調に終わり、29日夜、帰国準備をしていたら、テレビのニュースで「明日は大雪の可能性があります。Emergency of States!」なんて騒いでいる。ニューヨークの大雪には何度もひどい目にあっているので、万全を期して、いつもより1時間早くハイヤーを予約し、朝8時にマンハッタンを出発した。
しかしだんだん吹雪がひどくなってきて、ハイヤーは大渋滞のハイウェイをお尻を振り振り、JFKへ。
何とか時間には間に合ったが、空港はガラガラ。UAの成田行きのカウンターに着いたとたん、非情にも、「空港が閉鎖になりました」のアナウンス。
頭がパニックになりながらも、一人旅の身軽さ、真っ先に空港のホテルリザベイションに走り、空港前のホテルを予約。案の定最後の1室だった。
後から聞いたらレコード会社のスタッフたちは空港のベンチで寝たそうな。
大雪の中危険を冒してマンハッタンまで帰ったとしても、暮れの30日、ホテルなど取れる可能性は少ない。私はラッキーにも空港前のホテルが取れたので、もう大晦日のカウントダウンコンサートは間に合わないとあきらめて、ゆっくり雪見酒!

その日はぐっすり寝て、翌31日。うって変わって快晴のJFK。しかし飛行機は飛ばない・・・どうやら飛行機に付着した氷を溶かしているらしい。
東京に電話をしたら、まさにカウントダウンの真っ最中!
スタッフの「こっちは順調ですから、気にしないでのんびり帰ってきてください」とのありがたいお言葉(笑)とともに、カウントダウンとハッピーニューイヤーの歓声を電話で聞いて、少しほっとした。

飛行機は4時間ほど遅れてようやく出発した。一眠りして、離陸から8時間ほどたったころ目覚め、飛行軌跡のモニターを見たら、もうすぐアンカレッジで千島列島がすでに見えるくらいのところで、どう見ても飛行機はUターンしている!モニターの故障か?いや、そうに違いない・・・そうあって欲しい。しかし何度見てもUターンしている。
どうしても気になるのでコールボタンを押した。スチュワードに聞いてみると、「エンジントラブルのため引き返します。サンフランシスコに緊急着陸する予定です、着陸の30分前に機長から説明のアナウンスがあります」との事。
何?緊急着陸?
周りを見回してもほとんどの人が何も知らずに寝ている。困った・・・とんでもない飛行機に乗ってしまった、と後悔してみても後の祭り。
それにしても静かだ。耳をこらしてエンジン音を聞いてみても、特に異音らしきものもないし、煙が出ているわけでもなさそうだ、しかしぞっとする事に気がついた。
席が操縦室の後ろだったので(席はビジネスクラス・アッパーデッキの一番前、ボーイングの747-400なので操縦席のドアの後ろ)、スチュワーデスが、代わる代わる
中に入っていく姿がよく見えた。入っていく時は制服のスカートなのに、出てくるときはなんと全員ズボンに履き替えているではないか!
こりゃ大変なことになった。窓の外を見ると月が妙にきれいだ・・・もう覚悟した。
今までの人生が走馬灯のように蘇る・・・ほんと、そんな気持ち。
モニターを見るとアメリカ西海岸の海岸線を舐めるように飛んでいる。
そうか・・海に不時着か。今まで何十回世界中を飛行機で旅してきたけど、初めてだ・・・。いろんなことを考える。

やがてサンフランシスコ上空を数時間旋回したのち、いきなり降下してサンフランシスコ空港に着陸。
機長からのアナウンスは「トラブルのためこれからサンフランシスコに着陸します。
地上の係員の指示に従ってください」 たったこれだけ!
何の問題もなく着陸したのはいいが、大晦日にサンフランシスコのような小さい町に、いきなり
400人を超える人たちが予約もなく降り立ったのだから、ホテルなどない。しかも空港にはUAの関係者は一人もいない。逃げたのだろうか。
怒号の中たった一人の空港の職員が数人ずつをプチホテルに振り分けるのだから、時間がかかる。
そのうち外から車のクラクションの嵐とともに歓声があがった。どうやら西海岸も年が明けたらしい。
こっちはそれどころじゃない。朝の3時頃、やっと小さいホテルに案内されたが、当然レストランもやってない。空港のカウンターで渡された食事券$50なんか使えない。結局、冷蔵庫の中のクッキーとチョコレート数枚が晩御飯。
しかも朝7時半に空港に来いとの指示なので、2時間しか寝られない。
テレビをつけたら、なんと東海岸ニューヨークのカウントダウンとハッピーニューイヤーが映っていた。これで3回目のハッピーニューイヤーを経験したわけだ。
2時間仮眠をして、迎えにきた小型バスで同じ飛行機に乗り合わせていた乗客3人と空港に向かう。何だか同じ境遇にあったせいか、JFKでは口も聞かなかった人たちが、団結して話題に花が咲く。
サンフランシスコのきれいな日の出を見ながら、誰かが 「そうか、21世紀の日の出だね」 と言った。すっかりそんなこと忘れていたので、まあ21世紀まで生きてて良かったかな、と思うようにした。

その後、飛行機は順調に飛び、(やはり空港にはUAの関係者は一人もいなかった)成田に着いたのが、1月2日の午後。マンハッタンを出たのが、2000年12月30日、成田着が2001年1月2日。足掛け2年かかったわけだ(笑)
ふらふらと、家に帰ったら、ニューヨークからファックスが入っていた。

「2月6~8日、マンハッタンのSociety of Ethical Calture Hall にて、レコーディングをお願いします」

泣く泣く1ヵ月後、また雪のニューヨークに向かった。もちろんもうUAには乗らず、それからはJALに乗っている。
UAからは、一抱えもある籠に入ったお菓子のセットが届いたけどね。



格付け番組

ここ2~3日、何人もの人が「例のホロヴィッツが弾いたピアノが、テレビの格付け番組に出ていましたね。」と教えてくれる。どうやら元旦に、昨年9月に放送したものを再放送したようだ。
すっかり忘れていたので、こっちのほうがびっくりしました!
実は昨年8月頃、例の格付け番組で「ピアノ」を取り上げようと言うことになり、日本中で最も価値がありそうなピアノを探したところ、このピアノが引っ掛かったらしい。
最初は「バラエティ番組はちょっと・・・」と渋っていたのですが、結局押し切られ、収録1週間前にやっとOKしたのですが、問題は値段。いくら貴重なピアノとはいえ、値段に換算はできません、というのが基本的なこちらのスタンス。しかしTV局のディレクターは「それでは番組構成上困るんです。確かホロヴィッツのピアノが1億5千万でロンドンのオークションで落札されたらしいですよね。このピアノはカーネギーホールのオープン時に、まさにそこにあったピアノですから、例えば2億円ぐらいでしょうか?」・・・おやおや困ったことにどんどん値段は跳ね上がる(笑)
結局値段は決まらず、最後に「まあ、値段は付けられないけれど、1億円で売ってくれと言われても売りませんよ」と言った事が、本番では「1億円のピアノ」になってしまった(笑)
TV番組の常で、収録は一日がかり。困ったのはTV局が調達してきた比較対象のピアノが、ヤマハC5のわりと新しいモデルで、サイズはもちろんのこと、音のキャラクターの違いが歴然!100%わかってしまう。これでは番組にならない。さて困った・・・。
1887年のヴィンテージ・スタインウェイのフルコンは、音色を変えるわけには行かないし、この
100年という歴史の差をどうやって埋めるべきか・・・時間がない、あせる。
頂いた時間のほとんどをヤマハにかけて、なんとか枯れた感じの音に仕上げることに専念する。
マイクはTV局のほとんどが使用するAKG。これなら何とかごまかせる。レコード会社のほとんどが使用するB&Kやショップスのマイクだったら、もっと高音域が伸びるので、枯れた倍音がはっきりしてしまうためお手上げだったかも。
事実、スタジオでの生音では、もっと違いがはっきりと分かるので、ピアノの向きを色々変えたり、ついたての置き方を変えたり、何とか似たような音になるように試行錯誤したけど、ひやひやもんでした。
結果は3対2で、番組的には大成功!しかし、あの番組は本当にやらせなしのぶっつけ本番。
全問正解したタレントのYOUにはびっくり!!ちなみに私と名前が一緒(笑)


明けましておめでとうございます。

恒例のカウントダウンコンサートからニューイヤーコンサートまでが終わって、今日からやっと3日間のお正月です。10年ぐらい前から毎年、年末年始は海外にいるか、カウントダウンコンサートをやっているかで、元旦にのんびりした記憶がないのも、この仕事の宿命とあきらめています。
昨年は、カウントダウンコンサートが終わってからピアノを搬出して、そのまま東雲のスタジオに搬入して3日間のレコーディングだったから、今年はまだましかも。
そういうわけで、なるべく時間を見つけて、今年は更にユニークな裏話を掲載できればと思います。本年もよろしくお願いします。