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第6回グリーグピアノ作品連続演奏会

グリーグ没後100年を記念して、ノルウェー大使館サポートによるグリーグ2007記念プロジェクト実行委員会と共に、松涛サロンで開催してきたこのシリーズも残すことあと2回になってしまった。

今回のピアニストはウララ・ササキさん。
2年前、徳島でレコーディングして以来だ。
ご両親が音楽家ということもあって、子供の頃から殆どを海外で過ごしてきたウララさんは、英、独、伊、日本語が堪能で、その辺は日本人の感覚ではない。
ピアノのタッチも脱力ができていて、こういう弾き方ができる日本人は少ない。後半は妹のマルモさんもチェロで出演した。

先日、東京文化会館で行われた中井&武田さんの2台ピアノコンサートの日に、ササキさん親子によるパドヴァ・トリオは、オペラシティーで、コンサートをしていた。
私は文化会館、うちのスタッフはオペラシティ、と分かれて聴いていたけれど、アーティスト・マネジメントは双方ともプロアルテなので、社長の原さんは前半は東京文化会館、後半オペラシティーと掛け持ちしていた。
のんびり音楽を楽しんでいる裏でやっぱり、走り回っている人はいるもんだ(笑)

私も今夜の松涛サロンのコンサートを最後まで聞けず、明日は秩父に行って、夕方戻ってきたら和歌山~福岡~久留米~福山~静岡~秩父と、12月11日までの出張の準備をしなければならない。

CD199到着!

一昨日ニューヨークから成田に到着したCD199が、通関を終え、一緒に送られてきたMODEL-Lとともに、ついにスタジオにやってきた。
これで我がコンサート&アーティスト部は、完璧なラインナップになったのである。

まず、すっかり有名になってしまったローズウッド爺さんは、1887年~1925年まで活躍した楽器。
音楽的にも技術的にも、非常に興味深い。
この楽器が製造された1887年頃は、まだスタインウェイは他社と壮絶な戦いのさなかであり、フレームに所狭しと鋳込まれた数多くのパテントが、その執念を物語っている。
楽器としての進化の過程としては、まだ、ロマン派のフォルテ・ピアノのような雰囲気を色濃く残し、その独特の中音域の音色は、まさに、サロンでコンサートを楽しんでいた時代が蘇ってくるような、暖かい音がする。
その後1891年にカーネギーホールがオープンすると、その空間の大きさに殆どの楽器は音量を上げる改良を余儀なくされ、オーケストラも、現在のような大編成になるなど、まさにこの時代に近代クラシックが完成されたわけである。

ピアノも例外ではなかったが、ヨーロッパの名器たちは、そんな巨大なコンサートホール等で弾くことを想定して設計されていなかったのと、新国アメリカでのできごとなどに全く無関心だったため、時代に乗り遅れることとなった。
新参者のスタインウェイは、ニューヨークで創業した事とも相成って、柔らか頭で次々問題を科学的に分析、改良を繰り返す。
これに、当時ニューヨーク中に集まっていた、のちの巨匠たち(ラフマニノフ、ホフマン、パデレフスキー等など)が積極的にアドバイス。
例えるならば、アラン・プロスト、アイルトン・セナ、シューマッハ等などの天才レーサーを全員抱えたF1チームのようなもので、メカニックに与える要求はまさに芸術的な域に達し、且つ正確。
マシーンは急速に早く確実になって行く・・・みたいな事だったに違いない。何てわかりやすい例えだろう(笑)

さて、ピアノの話に戻るけど、タカギクラヴィア・コンサート部のフラッグシップ、「F1」と呼ばれている1989年製MODEL-Dは、先月14年ぶりにニューヨークに里帰りしてサウンドボードを張り替え、私の理想とする新世代スタインウェイに若返って帰国した。
先日の日記でも触れたように、1887年~1925年を駆け抜けたローズウッド爺さんと、1989年のF1までの間があまりにも広いため、その間を埋められる楽器をずっと探していたのだが、なかなかこれは!という楽器が見つからず、F1の弦圧を下げたり、小型のハンマーを付けたりと、試行錯誤をやりつくした末に、やっとCD199を見つけたのである。

1922年製のこのCD199は、1950年までの間スタインウェイ本社コンサート部の貸出用として活躍していた楽器だ。
1920年代のスタインウェイは、ゴールデンエイジと呼ばれるほどクオリティが高い。それは先に述べたように巨匠達の時代真っ只中であり、近代クラシックの黄金時代の楽器だからである。
梱包を解かれたCD199は、威風堂々とした姿を現した。
1887年のローズウッド爺さんが持っていたロマン派の独特の香りは消え、すでに時代はスタィンウェイの天下となっていたので、あれだけフレームに鋳込まれていたパテントNO.もすっかり姿を消して、多くの巨匠達と過ごしてきたキャリアの末のデザインは余裕すら感じる。
ジャズからポップスまでこなせる、最新のスタインウェイをデジタルと表現するならば、CD199は完璧なアナログ時代のスタインウェイだ。

1887年~1950年までの、クラシック黄金時代を代表するローズウッドとCD199。そして若さとパワーを蓄えた新世代のF1。
来年からお目見えするこの3台のスタインウェイが、クラシック黄金時代からの100年の歴史を、すべて物語ってくれるであろう・・・楽しみだ!


真新しいF1のサウンドボードと、駒

午後からはアキコ・グレースが、自宅に置く小型のスタインウェイを見に来るので、調整。
2~3日前にニューヨークから到着した、ピカピカのL。1978年製で、例によってサウンドボードとピンブロックを交換したニュースタインウェイ。
グレースは「こんな音の良いLはマンハッタンでも見たことがない!」と大喜び。それは当然。
ちょっと惜しいけど、譲る事にした。
勿論、手放す時は返してもらうことを力説してね(笑)
夕方からは、佐山雅弘、国府弘子組が2台ピアノの練習と打ち合わせに来るので、大急ぎでピアノの移動、入れ替え。

夜8時過ぎからやっと自分の時間。
今夜は、先日ニューヨークから帰ってきたF1の調整。サロンに1人篭って仕上げて行く。
93年、一緒にニューヨークから返ってきた頃を思い出しながら、整音する。
半月前はまだまだ、落ち着きのなかったサウンドボードも、少しずつ本来の響きを取り戻してきた。
程よく枯れて落ち着いたケースと、出来の良いフレームに、White Eastern Spruce のサウンドボード。
私の考える理想のニューヨークスタインウェイの姿である。
もう現在のスタインウェイ社では作れなくなってしまったのだから、こうやって自分でやるしかない。
それはストラディヴァリウスやガルネリが職人達の手によって、何度も修復されて、何世紀にも渡って素晴らしい音色を奏で続けているように・・。

夜も12時を回った頃、ようやく人に聞かせられる程度に仕上がってきたので、事務所で作業を続けていた3人のスタッフを呼びに行った。
「早く聞きにおいで。今まで聞きなれたあのF1のサウンドボードの材質を交換したら、こんな音になると言う貴重な経験だぞ!」
そして、夜遅くまで、我々は楽しんだ。

この楽器でいつお披露目コンサートをやろうか・・。

ちょうど12月20日、国際フォーラムでピアノ・コンチェルト『皇帝』を頼まれているので、そこにこの新しい究極のF1を持っていくか、来週ついにマンハッタンからやってくる1922年製CD199にするか、思案中。
贅沢な悩みでとても楽しみだ。

写真は真新しいF1のサウンドボードと、駒。
ちなみに、駒ピンの頭が丸いままになっていますが、忘れたのではありません(笑)
通常は、この状態からグラインダーで、頭を平らに削るのだけれど、その時に発生する熱の影響を避けるために、わざと削っていません。

プライムサウンドスタジオフォーム

朝10時入りで池尻大橋のスタジオフォームに行く。
このスタジオはエイベックスのスタジオで、かの「浜崎あゆみ」の為に作ったと言われているスタジオですが、もちろん浜崎だけではなく、いろいろなアーティストのレコーディングや、CM録音などに使われている。

以前この日記にも書いたけれど、ここにはニューヨーク・スタインウェイのB型が入っている。
もう何年か保守管理を担当しているが、今年引き取ってオーバーホールを実施した。
修理期間中には、代わりに我社のニューヨーク・スタインウェイB型を貸していたので、スタジオの運営には支障がなく喜ばれた。
こんなことができるのも我社の強みだ。

それから約半年。すっかり綺麗になって、雑音もなくなったB型と久しぶりに対面した。
まだ弦も新しいので、調律の下がりはあるけれど、オーバーホールのきっかけとなった、アグラでの弦の引っかかりや、酷い1本うなり、チューニングピンのジャンピングなどはすっかりなくなり、調律も見違えるようにやりやすくなった。
いつも担当しているスタッフは、殆ど毎週のように調律に入っているので、いつ弦が切れるかわからずテストブローも満足にできなかった頃に比べると、まるで別の楽器だと満足。

これでまたいろんなCDやテレビで、このすっきりしたニューヨークBの音が流れてくることでしょう。





今日のいろいろ

久しぶりに会社にいるので、今日は朝から人と会う日です。
朝10時から、ヴァイオリンとピアノのコンクールを立ち上げた人達が来て協力要請の話。
その後は音友の取材。このインタビュアーの人がなかなか頭の切れる人で、すっかり話し込んでしまった(笑)
このインタビューは音楽之友社から発行される冊子「ピアノ&ピアニスト2008」に掲載される予定。
夜はピアニストと、日本一旨い(と、私は思う)上野不忍池の榮太郎寿司で会食。



徹子の部屋

今週は非常に珍しい事に、私の出張がない!何ヶ月ぶりに東京に居られる。
趣味をやろうか、部屋を片付けようか、はたまた倉庫の引越しをやろうか、やっぱり、ロクちゃんやナナちゃんを製作しようか、などと考えながら出社してホワイトボードを見たら、今日は朝から「徹子の部屋」の収録でテレ朝に行くことにされていた。
急なレコーディングが入ったため、スタッフがみんな出払ってしまうらしい。

レギュラーで頼まれているテレビの収録は殆どスタッフに任せているので、私が行くのは久しぶりだ。
「徹子の部屋」は、確か亡くなった羽田健太郎さんの最後の収録の時以来のような気がする。
調律が終わって、待ち時間にスタッフとそんな話をしていたら、あの魔の6月19日にも収録があって、ゲストは綾戸智恵さんだったらしい。
いつもは、トーク収録の前に演奏部分だけを別録りするけど、その日は綾戸さんが「トークの流れの中で弾き語りをしたい」という希望で、初めてセットの中にピアノをあげる事になったため、トーク本番収録中もずっと立ち会っていたところ、あの松濤温泉爆発事故があったのだ。
もし、いつものように演奏部分だけを収録して渋谷にピアノを戻していたら、爆発に巻き込まれたかもしれない。
この日は朝から何度もピアノの積み込みをしたり、テレビ収録のスタッフも、途中でインシュレーター(ピアノ足キャスターの下に敷くもの)を取りに戻ったりしていて、まさに危機と隣り合わせだった事を思い出した。

今日は隣のスタジオで「ちいさんぽ」の収録があるので、先ほどから地井さんがうろうろ。最近は、おちおち散歩もしてられません。





レコーディング最終日

昨日は久しぶりに丸一日寝てしまった。
今日は先日から続いているドイツリートのレコーディングの最終日だ。
ミューズパークのニューヨーク・スタインウェイも、この3日間の録音で少しずつ調整を重ねていったおかげで、見違えるようになった。

10時半にはズィーバス教授も現れ、早くピアノを弾きたくて楽譜を持ったままそわそわ。
11時までは、私の時間!と言って、先生を待たせて(笑)今日のシューベルトに出てくる、延々と続く左手の単調な連打の為に、スプリングの強さをと、各鍵盤の音の出る高さを揃えた。
楽器も3日位付き合っていると、音楽的に細かい調整をやってみようという余裕が出る。
まさにピアニストと一緒に音楽を作っているようで、楽しい。
客席で待っててくれた先生に、どうぞ!と言うと、喜んで弾き始めて「お~連打が弾きやすい、素晴らしい、素晴らしい」と大喜び。
本当に外人は大げさだ(笑)
調子に乗った私は、皆がお昼に行った間も、1人残ってまたまた調整の続きだ。

そんなレコーディングも、先生がご機嫌だったお陰か夕方には終わり、ジャケット用の写真撮影も済み、片付けが始まっているのに、先生はまたまたピアノを弾き始める。
モーツアルトから、シューベルト・・・もともとソリストだったので、今回の伴奏が終わって、一気に抑えていたものが吹きだしたのか、次々弾いてはこっちに歩いてきて「この部分がこんなに美しく響くんだ」とか、またちょっと弾いては「ほら、ここが・・」とかうるさいうるさい(笑)
よっぽどこのピアノが気に入ったらしい。
そろそろ片付けますよ!と声をかけたら「では最後にトロイメライを弾いて、このピアノとお別れする」と言って弾き始めた。
これが何とも美しかったので、最後まで聴いてしまった。

弾き終わったズィーバス教授が、来年ドイツでレコーディングする予定だったご自分のシューベルトのソロを、ここで録れないか?と言い始めたので、その方向で検討することになってしまった(笑)
明後日ドイツにお帰りになるので詳しい話はまた後日、とホテルにお送りして、東京へ帰った。

秩父にて録音2日目

早朝6時頃に、農園ホテルの露天風呂から眺める秩父の山々はまた格別。
今日は12時スタートなので、ゆっくりホテルを出て、ホールに向かう。
今日の録音が終わると、録音スタッフは一旦帰るけれど、アーティスト達はこのまま秩父泊まりらしい。
歌の録音の場合、喉を休ませるために、日程を空けることは良くあるし、録音も長時間やらないのでスタッフは楽だ。
午後から始めたにもかかわらず、一旦機材を撤収しなければならないので終わるのも早い。

楽器は元気を取り戻し、ズィーバス教授は上機嫌で、ピアノから離れない。
こうなれば、私は暇。プレイバックを聞きながらモニター室の楽屋でせっせと日記の更新。
しかし、先に先に、と仕事に追われていると、つい一ヶ月前の出来事がもう随分前のような気がしてなかなか思い出せない。
モニターから
流れてくるシューベルトのドイツリートを聞きながら、10月の日記を更新中。

こんな時にも、渋谷の事務所からは、続々と仕事の依頼や見積もりの確認やら、連絡が入ってくる。
毎年恒例、クリスマスコンサートのシーズンである12月20日以降から、またまた狂ったようにスケジュールが入ってきた。
千葉、東京、徳島、岩手、大阪のほか、今年のカウントダウンはどうやら熊本が決定したみたいだ。
年末の帰省ラッシュに巻き込まれないように、早めにフェリーを予約したと思ったら、12月28日、韓国に調律に来てもらえるか、という話も。
そうなったら、29日にソウルから宮崎に飛んで、フェリーできたトラックと合流して熊本に入って31日のカウントダウンをやって、1月1日のフェリーで、大阪に渡って東名を走って2日に帰京、
3日は東京で正月イベント、というスケジュールになるのかな・・。

ぼけっとそんな事を考えていると、そろそろ休憩だ。
調律を直そうと思ったけど、この季節の秩父の安定した気候にも助けられて、目立った狂いもないので録音を続けることにした。
7時半頃予定通りの録音を終え、東京に戻る。







秩父ミューズパークレコーディング初日

3日間でソプラノとピアノ、1曲だけクラリネットの入る曲のレコーディング。
9時から早速ホールのニューヨーク・スタインウェイを調整。
調律は昨日やったので、さほど狂ってはいないけれど、タッチはざっとしかみてないので、ともかくクラシックが弾けるようにしなければ。

11時スタートのはずが、暇なのかすぐにアーティストがやってきた。
今回のピアニストであるズィーバス教授は、コンサートでは毎年お会いするけれど、レコーディングとなると5年ぶりだ。
早速弾きたがったので、細かい調整は録音の合間にすることにした。
エンジニアは日本アコースティック・レコードの今ちゃん。
最近ここのピアノでレコーディングした事があるらしくて、その時はピアノの音がモコモコで困ったけど、今日は回復してる!と喜んだ。
録音が始まってから、少しずつ微調整を進めて、マスクをしたまま歌っていたような音が、だんだん目覚めてきて、名器の片鱗を見せ始めてきた。

順調に録音は進んで、少し時間ができたので、滞っている日記を思い出し思い出し書いています。
遡ってみるべし!

秩父ミューズパークは深秋だった

昨夜秩父に入り、久しぶりに倉庫に荷物を運んで、そのままルートインに宿泊し、朝8時半にミューズパークに入る。
今日は高橋 考、小椋 佳のコンサート。
明日から3日間ソプラノのレコーディングがあるので、私は1日早く秩父入りして、今日のコンサートの調律立会もやる事にした。
今回は久しぶりにホールのピアノを使う事にしたので、事前にチェックもできるし。

ステージの上ではすでに朝早くから何人ものスタッフが働いている。
その中で、舞台監督らしき人を見てびっくり。お互いに顔を見合わせて「あれ~?なんでここにいるの~」
それは今井さんといって、6台ピアノやその他舞台関係で良くご一緒する舞台監督さんで、6月19日スイートベイジル、島健さんの公演で、この今井さんが「あと30分ピアノの搬入を遅くして」と言ってたら、今頃、温泉爆発の藻屑と消えていたかもしれない(笑)
周りを見回すと照明さんも、音声さんもいつもよく顔を合わすメンバーだ。業界狭いね。

秩父のピアノを舞台に出して、びっくり!
またまた、笑っちゃうぐらいモコモコにされている。
秩父の場合、コンサートより圧倒的にレコーディングが多いので、時間がある分、調律師がピアノをいじくりまわす危険性は高い。
また、コンサートと違って、ピアニストの他にレコーディングエンジニアというやっかいな耳の持ち主が、いろいろ調律師にささやく(笑)
そこで調律師が張り切ってしまい、どんどん悪い方向へ悪い方向へドツボにはまって行く。こんなパターンが多い。
まともな調律師ほどピアノを殆ど触らないものだ。

ピアニシモのコントロールができないピアニスト、巷の甘ったるいハンブルグの音が耳の基準になっている、レコーディング・エンジニア。
トーンマイスターなどという奴の耳ほどいい加減なものは無い。
哀れこんなチームに入った調律師は、さんざんピアノをいじくりまわして結局お手上げになり、ついには自分の責任にならないように、もの言わぬピアノのせいにする(笑)
「数字だけ標準にしました」と言うつもりなんだろうけど、スタィンウェイは1台1台調整が違うのだから、音色とタッチがわかっていない調律師は触るべきではない。
やれやれ、今日はまず音色を元に戻すことに専念だ。

だんだん音色が蘇ってくると、このピアノがニューヨークのスタインウェイにあった頃を思い出す。
はてさて、タッチも変だぞ?ご丁寧にバックチェックの加えまで、いじくったようだ。おかげで、連打が効かないし
ハンマーは哀れ、バックチェックの下のほうまで落ちていくため、タッチも歯切れが悪く、レピテイションのレバーは多めに沈み込むため、スプリングは必要以上に縮められ、戻りの動きも強さも大げさになるので、ついにはスプリングまで弱めたのであろう・・。
こんなやぶ医者を指名しているピアニストもエンジニアも、もう笑うしかないね(笑)
ともかく今日はコンサートなので余り時間がない。
一番気になるモコモコの音色を元通り乾いた音に治して、(モコモコだと、ピアニストは無意識にタッチが強くなってより汚い音になる)タッチ調整は、明日からのレコーディングの間で少しずつやる事にした。

関係者の中には「調律師を限定してしまおう」と言う声もあるけれど、私が保守管理をしている限り、元に戻せるので、なるべく多くの技術者に開放したいとは思っている。
それにしても、ホールのピアノを借りると言うことは他人のふんどしを借りるようなもの。
汚したまま返してよく平気でいられるね!
こんなあんぽんたんな調律師は猛反省せよ。
そんなにいじくりたいなら、自分の楽器を持ち込め!











NY-B History

それは15年ほど前のニューヨーク。
東京のアーティストからニューヨーク・スタインウェイのB型を探して欲しいと頼まれていたので、仕事の合間にスタインウェイのTrade inフロアに行って、いろいろ物色していた時、あるBに目が止まった。

それは1960年のBで、それほど古くはないのに、四隅の角が丸くなっているくらい傷だらけで、おまけに汚い。
ベースの弦も何本か切れて張り替えられているので、そこだけ妙に光っていて、見るからに疲れた楽器だった。
内心あまり音は期待せずに(これなら安いだろうという期待はあったが)パラパラと弾いてみたら、ゲ~ッと言うほど素晴らしい音がする!
深みのある低音域、コロコロと玉になって転がる高音域、外観とはうらはらに、理想的な鳴り方をするスタインウェイ、まさに探し求めていた楽器だった。
当然この外観なら安いだろうと思って聞いてみたら、なんとお隣の綺麗なBと同じ値段だ!彼らも良いピアノは良く知ってるなあ…。

ピアニストに頼まれた値段より大幅に高い。しかしどうしても欲しかったので、その夜電話した。「差額は僕が払うので、絶対この楽器を買いなさい!そのかわり、いつか返してね、この値段で買い戻すから。」
そしてこの楽器は日本に来た。本当は自分で買いたかったけど、当時は買えない値段だったし、これは何とかして日本に持ち帰りたかったからね。
半月後、楽しみにしていたBが成田に着いた。
工場で開梱して、ピアノを組み立ててみて驚いた。
低音側の側面に見慣れない丸いステッカーが貼ってある。
よく見ると、それにはRCA Studio と書いてあった。何と60年代に、ブルーノートのジャズやポップスをたくさん録音したであろう楽器だった。
どうりで王道のような音がするわけだ。
オリジナルを損なわないように神経を使って消耗部品を交換して納入。

そして15年。そろそろ最初のオーバーホールの時期を迎えたので、ちょっと御相談。お約束の買った時の値段で買い戻したい!と。
実際は買った時よりもさらに高い値段で引き取る事になったけれど、15年振りに帰ってきたBを、取りあえず大分でちょっと鳴らしてみました。
この子も来年から大活躍してくれるでしょう!愛称は当然RCA。
さっそく傷直ししてあげなきゃ、これから人前に出るからね(笑)