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今年最後の日記

朝から曇って、時折雪がちらつく。
今日は熊本城二の丸公園内の特設ステージだから、いくら屋根があるとはいっても、寒さ対策が心配だ。
盛岡では、公会堂があんなに寒いとは思わず、(北国は室内は暑いという先入観の失敗)温度対策に失敗したので、今回は楽器はしっかり冷やしてきた(笑)
ピアノは暑さには弱いけれど、寒さには意外と耐えられる。
もともと寒い国で作られた楽器だからね。
今回は予想が的中して、調律も殆ど狂わず、リハーサル後の治しも必要なかった。

深夜11時59分50秒カウントダウン開始。
いよいよ今年も終わってしまった。

今年を振り返って

あっという間に2007年も終わってしまった。
振り返れば、グリーグ没後100年ピアノ作品連続演奏会や、ギルシャハム、アン・アキコマイヤース、竹澤恭子、8億円のストラディ・バリウスとの共演などヴァイオリニストとのツアー、フコク生命の2台ピアノ・チャリティコンサート全国ツアー、ジャズピアノ六連弾や、TVCM、レコーディング等など数えてみれば何と、250ステージを超えるピアノ持込を無事やり終えた。
まさに九州~北海道まで走り回った1年でした。

今年は新たにフルコンが3台、B型、L型も加わり、総勢15台体制になったので、クラシック以外の分野にも裾野を広げる事にした。
楽器が増えれば、それぞれの楽器も休める時間ができて、順番にオーバーホールができるかな・・・と思っていたのに、ピアノが増えたら増えただけ仕事も増えて結局大忙し!
それでも思い切って、今年はF1の響板張替に続き、連続でベーラや、
ハンブルグ等の全弦交換を強行した。秋以降、我社のピアノの音がちょっと狂い気味なのも、新品の弦に張り替えて3日後に本番といった綱渡りが続いたからであり、2~3ヶ月のご辛抱を・・といった次第(笑)
CD199も忙しさにかまけて、仕上げが遅れ遅れになってしまって、残念ながら来年からのお披露目になりました。

今年も何台かのスタィンウェイ達がお嫁に出て行きました。
中でも、ニューヨークから飛行機で横浜のHさんの家に行ったヴィンテージのB型は、まるで、コンサート部看板のローズウッド爺さんやCD199のような風格と存在感を持っていて、まさに芸術品。
大事な娘を嫁に出したような気分でした。

最近多くの音楽関係者が、口を揃えて「最近のピアニストは、フォルテをぶっ叩いて平気で汚い音で弾く」と言います。
箱が鳴らないピアノで練習していると、自然とそういう奏法になるのは
当たり前。
「良い楽器を弾いていると、今まであきらめていた事が簡単にできたり、聞こえてこなかった倍音がはっきり見えてきたり、新しい発見が次々出てきて、目からうろこです」と言われることも多い。
巨匠達に鍛えられた職人達が作った楽器と、昨今の若造が作った楽器が同じであるわけがない。

残念ながらこういった珠玉の貴重な楽器は、数が少なくてなかなか手に入らないし、いわゆる楽器商ではないので、誠に申し訳ないのですがどなたにでも販売しているわけではありません。
そういうわけで、未だかつてタカギクラヴィアの広告に「スタィンウェイピアノ○○○万円で販売中!」といった文字が踊ったことは一切無いわけです。

今年もあるお客さんが「私が死んだらこのピアノがどうなるかと思うと心配で心配で。その時は、このスタインウェイはタカギクラヴィアに寄贈することにします。そうすれば、ずっとこの状態を維持してもらえるから」
と言っていました。
それほど大切にされれば、このスタインウェイも本望というもの。
ただ残念ながら、このお客さんより私のほうが年が上で、こっちが先に逝ってしまいそうだから、約束が果たせないかもね(笑)

今年も、いくつもの素晴らしい出会いがあり、はたまた、呆れた事件もいくつかあったけれど、まずまずの幸せな1年を送れた
事に感謝。
来年もいろいろな企画がありますので、一緒に楽しみましょう!




熊本到着



朝8時、宮崎に上陸。
天気は予報どおり、荒れ模様。
熊本に向かう途中でとうとう雪が降り始めた。
熊本まで来て雪だなんて、何たる不運と思いつつ人吉を通過。

数年前にこの人吉から、同じデュトロで、ピアノを積んで、1300キロ先の渋谷まで陸路一気に走って帰ったことがある。
朝10時に出発して、ほとんど休まずに走って、深夜1時半に渋谷に着いた。
一緒に行ったスタッフは免許取りたてだったので、仕方なく1人で運転したけれど、日本列島陸続きなら大体1日で走れてしまうことを実感した。
どんどんフェリーがなくなってしまうのはこういうことなのだろうけれど、のんびり船で寝ている間に到着するフェリーは、温暖化にも良いだろうから、減らさないで欲しい。
とは言うものの、なにせ料金が高すぎる。もっと安くすれば利用も増えるだろうにね・・。

昼過ぎに熊本に着いて、キャッスルホテルにチェックイン。
このホテルには大型トラックまで泊められるから便利だ。
夜は頼んであった馬刺しで歓待を受けて、いよいよ明日は熊本城築城400年記念コンサートだ。

カウントダウンコンサート

今年の最後の仕事、カウントダウンコンサート・イン熊本城。

朝から大阪に向かって走っています。
夕方、大阪港19時発のフェリーで宮崎へ。
川崎から宮崎行きのサンフラワーが廃止になってしまったので、大阪までまで走らなければなりません。

今年は東京でカウントダウンの仕事はないので、何年ぶりかで社員は全員正月休みにしました。
今年は忙しくて夏休みがなかったので、年末に夏休みをくっつけて9連休のスタッフもいます。
こんな事は何年ぶりだろう・・・記憶にありません。
私と部長だけは年末年始も仕事です。役員は仕方ないのです(笑)

今月はボーナスも払い、給料も払い、休みもたっぷりあげて、なんだかすっきりして、フェリーに乗りました。
振り返れば今年の持ち込みは250ステージを超え、またまた記録更新です。
一緒にがんばってくれたスタッフには感謝と共に、ゆっくり年末年始を迎えて欲しい。と考えているうちに眠ってしまった。





岩手は寒い

盛岡を後にして、2台で東京に戻る。
雪も凍結もなく、19時ごろ無事東京に到着。

今日、大阪のリーガロイヤルでは、毎年恒例のクリスマスコンサートだが、、そちらには徳島に行っていたスタッフが合流して無事搬入も終わり本番が始まった頃だ。
無事に終わってくれることを祈りつつ、一番難関だった「雪、凍結、ピアノ起こし、110センチステージ上げ」を無事こなしたので、やれやれだ。明日はそれぞれのスタッフが戻ってくる。




岩手公会堂

今朝は快晴なれど、やはり-5度で寒い。
ピアノが心配で早めに公会堂に出発。

なにせ古い建物なのでドア幅が狭く、当然ピアノは起こして運ばなければならない。狭い通路をくねくね通って客席最前列へ。
ここから110センチのステージ上げをしなくてはならない。
油圧台車で90センチまで上げて、あとの30センチはお手伝い頂いて人力で上げた。

今日は佐山雅弘と国府弘子のデュオ・ジャズナイトだ。
本当は2台とも持って行きたかったけど、公会堂創立80周年とともに、ホールにある50年前のヤマハを弾く!のもテーマの一つらしいので、こりゃ重荷だな・・・と思いつつピアノを拝見。
製造番号89300のフルコンはびっくりするほど良い楽器で、まだベッティングスクリューのないアクションは、ほぼオリジナル状態を保っていて、音の太さたるや、持って行ったハンブルグスタインウェイより太いくらい。
残念ながら中音域から上は音の抜けが悪く、上に行くにしたがって鳴らなくなっていく印象だけれど、強打した感じはハンマーがフォルテシモでベシャッと潰れる腰砕けの感触なので、腰の硬いハンマーに変えればもっと抜けるようになるであろう。
いくらコピーとはいっても、ヤマハも当時これだけの楽器を作っていた事が驚きだ。

国府さんは、リハーサルで弾き始めて「鳴りが悪い」とちょっとご不満の様子だったけれど、楽器の古さと、歴史的価値を説明して納得してもらった。
貴重な楽器だから壊さないでね!
それより困ったのは、80年前の公会堂。
基本的には今の多目的コンサートホールと殆ど同じ作りなのには驚いたけれど、壁際にスチームヒーターがあるだけでエアコンがないので、ともかく寒い!
何とステージの下には石油ストーブが4台。
ところが、そのうちの1台が不完全燃焼を起こし、匂いが耐えられないと国府さんが騒ぎ出したので、結局全部消すことになった。
-5度の極寒の中からステージに上げられたピアノは、ストーブで少し暖まったかと思いきや、またまた冷やされ過酷な条件の中にさらされた。
温度計のようにどんどんピッチは上がり、もはやお手上げ状態(笑)

今まで2800回を越えるステージを経験してきたけれど、お客さんが全員コートやダウンジャケットに手袋、マフラーのまま本番を聞いている姿は初めて見ました(笑)
終演後、ステージからピアノを降ろし、車に積み込み、バリバリに凍った駐車場に留め置き。
打ち上げは市内のライブハウス。
我々だけは早々に引き上げてホテルに帰り、明日は早朝に帰京します。






盛岡に出発

朝10時半、アーバンにフルコンを積んで、ステージ上げ機材を積んだ軽トラックと2台で盛岡に出発した。
大阪でのクリスマスコンサートと重なっているためデュトロは大阪へ、雪の心配がある盛岡には私がアーバンで行く事にしたけれど、難関のステージ上げ機材まではアーバンに乗り切らないので、効率は悪いけれど軽トラと2台で行く事になったと言うわけ。

心配なのは雪と凍結道路だ。快晴の東北道を岩手に向かう。
道路が凍る夕方前までには到着したい。
盛岡手前50キロくらいで、吹雪始めてちょっと心配だったけれど、夜7時頃、予定通り岩手公会堂に到着した。
2~3日前に大雪が降ったらしく、ノーマルタイヤで走ってきた車に驚かれた。
とりあえず-5度の気温の中、電源をお借りして楽器を電気毛布で暖めて、今夜はホテルにチェックイン。搬入は明日。

長旅で疲れた体に、生ビールと生ラムジンギスカンで晩御飯。
明日は岩手公会堂の創立80周年記念コンサート。




F1復帰コンサート、コンチェルト編

ベートーヴェンピアノコンチェルト第5番「皇帝」。
場所はキャパ5000人の巨大ホール、国際フォーラムA。
本当はCD199のお披露目にしようかと思ったけれど、F1を仕上げることに精一杯で、CD199は来年のお楽しみ。

F1はニューヨークで大手術の末、バラバラの状態で帰ってきて、ようやくスイートベイジルのライブの前日に組みあがり、2日間ぶっ叩いてもらって目を覚まし、紀尾井のレコーディングでようやく現場に復帰。
その2日後に5000人の国際フォーラムでコンチェルトと、一連のスケジュールをこなして貴重なデータをとった。
通常これだけのオーバーホールをする場合、楽器が古くなって響板は割れ、弦は切れ、アクションもガタガタ、ハンマーもシャンクも当然交換といった状態がほとんどだけれど、何のトラブルも無い健康な楽器の響板を交換するなんて、前代未聞の贅沢・・か道楽か(笑)

この状態で元のアクションを入れて、どう変わったか?
これは響板交換前の江口君のCD「展覧会の絵」や干野君のCDと、今度発売される紀尾井の録音と聞き比べてみると実に面白い。
結果は狙い通りの結果が出たので大満足。

さて、これまでF1の独壇場だった大ホールでのコンチェルト、いかにオーケストラに埋もれずにホールの1番奥までピアニシモが届くか・・。
絶好調のニューヨークなら、コンサートホールの真上から音が玉になって降り注ぐように聞こえる。ハンブルグでは到底真似のできない芸当だ。
もちろん今回は余りにも新しすぎる響板だから、ローズウッドがそうだったように、本当の実力が出てくるまで2年はかかるが、その片鱗が発揮できればまずまずだろう。

搬入が終わって舞台袖で調律を済ませ、コンチェルトからリハーサルなので、指揮台の前までピアノを移動。
それにしても巨大なホールだ。
ここでコンチェルトをやるのは確か3回目。
Super World Orchestraの時もホールAだったので、ここではどういう感じで聞こえるかのデーターは持っている。
リンカーンセンターに持ち込んだ時と同じように、はっきりいってホールが大きすぎるし、上にも横にも広いので、音色が云々ではなく、ともかく聞こえるか否かが全てだ(笑)

このようなホールでは1階席の前寄りの席は、音が頭の上を通り過ぎてしまってピアノも
オーケストラも痩せて聞こえるし、左右に音源が広がりすぎてバランスも悪いので、目線がステージより上になる2階席のほうが音が良い。
お客さんは「ピアニストの手が見えるほうが良い」とか「顔が見たい」とか、なるべく前の席を取りたがるけど、音楽的にはつまらない音になってしまう。

さて、リハーサルがはじまって、1階席、2階席、前、後ろ、あっちこっち移動して聞いてみたけれど、やっぱり1階席前方は音がスカスカ。オケも同様。
逆に1階席後方や2階席はピアニシモがはっきり聞こえたし、輪郭のある重低音域が、ホールのどこにいてもしっかり届いたのが驚きだった。最高音域は響板の弦圧が落ち着いてきたら、もっとよく鳴って来るだろう。
今はまだ弦圧が高すぎて、逆に押さえつけられているので仕方がない。本番はなんと5000席ほとんど満員だった。
我々は舞台袖で聞いていたけれど、この聞きなれたベートーヴェンの「皇帝」が、なんだか今日は特別な曲に聞こえた・・。
がんばったピアニストの須江君が、戻ってきた。
コンチェルトでは、良く鳴る楽器はピアニストを助ける。
いくら旨く弾いても聞こえなければどうしようもないからね。

役目を果たしたF1が袖に戻ってきて搬出。
終演後、素晴らしい音だった!とたくさんお褒めを頂いたけれど、復帰して、まだまだ実力の片鱗が見えたところ。
F1はこれから、また1度バラして細部を煮詰める。本体が落ち着いてくれば、ますます珠玉の音を響かせてくれるだろう。

秋川キララホール

何年ぶりかのキララホールでの録音だ。
今日はキングレコードで、ピアニストは林 光先生と江口君。

キララホールに来るのは15年ぶりくらい。
秩父ミューズパークができる前は、この秋川キララホールと韮崎の白根桃源が、東京近郊の音楽専用ホールとしてレコーディングによく使われていました。
石と木でできたこじんまりとしてよく響くホールだけど、隣に東急ストアができて、その建築中のノイズでしばらく録音ができなかった時期があり、その後、秩父ミューズパークや石和の牧丘文化会館など、音の良いホールが各地にできたため、次第に我々の脳裏から忘れ去られていました。

でも久しぶりに来てみると、当時を思い出して懐かしいのと、圏央道の開通で渋谷からわずか1時間で行けるようになったし、ホールの近くもいろんなお店ができて食事にも苦労せず、なかなか使い勝手の良いホールになりました。
現代の志向からするとアンビエンスはちょっと独特の響きだけれど、工夫すれば良い音が録れます。

今日の録音は2曲だけなので、午後から始まって夕方には終了。
江口君を乗せて、圏央道で本当に1時間で渋谷に帰ってきました。




市川市文化会館

久しぶりに、ピアノの歴史、音色、構造、およびスタインウェイの歴史などについて語る1時間半の講演を依頼されたので、行ってきました。
数年前、ピアニストの近藤君と「ピアノ物語」というタイトルのコンサートで、全国何箇所かを回りましたが、このときは前半レクチャー、後半がコンサートの形式。

以前、国立音大のピアノ科の特別授業でも、同じような講義をやったlことがあるので、その時の内容を縮めて前半に、後半は持ち込んだF1のアクションを入れ替えて弾き比べ、色とタッチが瞬時に変わる様子を実演。
調律師の仕事でピアノはこんなに別物のように変わるのだ、という構成にしました。

ちょうどこの仕事の依頼が来た時に、サロンで稲本響がファンクラブイベントをやっていたので、ちょっと手伝って!と半ば強制的に出演要請をして、連れて行くことにしました。

朝、文化会館にピアノを搬入して楽屋に行くと、何といつもと逆の事が起きていました。
一番大きいメインの楽屋に(高木 裕様)、小さい楽屋に(稲本 響様)。
大きい楽屋にはサンドイッチやお菓子がどっさり!
小さい楽屋には少しだけ(笑)
今日は調律師が主役(笑) どうだ!今日は俺のほうが偉い・・などと馬鹿なことを言って楽屋ではしゃいでいたら、柴田さんがやってきた。

柴田さんはTBSのアナウンサーで、毎朝、みのもんたの朝ズバ!でニュースを読んだり司会をしたりしているので、ご存知の人も多いと思う。
2002年のカーネギー録音は、テレビ東京が密着取材をやったけれど、その後紹介されてTBSに行った時に彼と知り合った。
彼はクラシック好きで市川市文化会館の市民評議会のメンバーらしく、今回は偶然出演者が僕だったのでびっくりしたらしい(笑)
世の中狭いもので、朝ズバの番組には、仕事で仲良くなったメル友の大林さんも出てるし、どこで、友達の輪が広がるかわからないものだ(笑)

柴田さんと話し込んでいたらもう本番だ。
紹介されてステージに出て行って、まずは近代ピアノの歴史、スタインウェイの歴史、知っているようで実は知らない裏話などなど、あっという間に30分。
休憩を挟んで、後半は実演。
アンコールでは、客席から数人ステージに上がってもらって、アクションを入れ替えたらピアノがこんなに変わんだという体験をしてもらって終了。

ロビーでは、著書のスタィンウェイ戦争が飛ぶように売れて大好評だったようだ。
裏方の調律師が、表に出るのはあまり好きではないけれど、事実は事実として、話す権利も聞く権利もあるのだし、判断はそれぞれ個人にまかせるとして、終演後、「目からうろこでした!」と多くの人が言ってくれるということは、何かが変だということを、そろそろ皆感じ始めているような気がする。

今日は、原宿のアウディ・フォーラムにもピアノを入れて、アキコ・グレースのライブをやっているので、間に合えばそっちにも顔出そうと思ったけれど、京葉道の夕方の渋滞にはまって、間に合わなくなってしまったので、渋谷に直接帰る事にした。




紀尾井レコーディング 最終日

録音は順調に進んで、今日は最終日。
業界関係者、他ホールの企画担当者、梶本音楽事務所などなど、今日はお客さんが多い。
差し入れも豊富で、食べ物には困らない。
紀尾井ホール3日間という贅沢な録音は、ドイツ・グラモフォンをはじめ、クラシックのレーベルを独占するユニバーサルならではだ。

最後の曲を弾き終えて、彼女は本当に良くさらって勉強している事がありありとわかって、この先が楽しみな逸材でした。
日本人ヴァイオリニストは、どんどん若手が出てきて激戦区で面白い。
ピアノはなぜ、魅力的な逸材が出てこないんだろうね?

さて、無事録音も終了して搬出準備をしていたら、ディレクターとエンジニアの方達から、「いや~久しぶりに素晴らしいピアノの音を聞かせていただきました」とお褒めの言葉を頂き、ほっと肩の荷が下りた。
と同時に、「いえいえ、響板が落ち着いてきたら、こんなもんじゃないですよ・・」と思いつつ、「このくそ硬いチューニングピンが早く落ち着いてくれないか」とか、「アグラフからもノイズが出ているから交換しなきゃ」とか、いろいろこの先の課題も発見できたし、F1にどうしても欲しかった重低音が加わって、狙い通り全体の音楽的なバランスがよくなったので、今回の録音再デビューはまずまずの成功。

次は20日に国際フォーラムAで行われるベートーヴェンのピアノコンチェルト第5番「皇帝」だ。
5000人の大ホールで、この新型F1がどのように鳴り響くかを試す。
楽しみ~。





紀尾井ホール レコーディング

12月も、いよいよ16日になってしまいました。
毎年、この日は特別な日です。
それはベートーヴェンと、私の誕生日だからです。
あんまり関係ないか・・。

今日は紀尾井ホールの録音の続き。
我がF!は、紀尾井のピアノ庫に入れられて二晩を過ごし、なんだか照れくさそうにステージに出てきた。
一昨日の満員のコンサートとは打って変わって、今日は録音のみだからお客さんがいないので、恰好も普段着で気が楽だ。

紫音ちゃんは堂々とした弾きっぷりだけど、まだ10代。
最近のヴァイオリンの新人君たちは皆若いので、それにくっついてくるお母さん達も30代~40代前半なので、これまた若い!
恰好も若いし、面白いことに、たいてい娘は手ぶら、お母さんが楽器を持って現れるので、楽屋に「お早うございます!」って入ってきた人を本人だと思ってしばらく話をしていたら、何とそれはお母さんだった、って事が良くある。
江口君も、年の割には随分落ち着いた子だなと思って話してたら、お母さんだった(笑)ということが良くあるらしい。
それは我々が年をとったって事か。
また、今日一つ年をとったから、これからはどんどんそうなるね(笑)

写真は業界では有名な、福井さんのフィリップス方式の長い物干し竿ステレオバーです。





グリーグピアノ作品連続演奏会 

今年、我が松涛サロンで開催していた、グリーグ没後100年記念連続演奏会シリーズも今日が最終回。
ノルウェー大使館、及び実行委員会の皆様、お疲れ様でした!
今夜はノルウェーから来日した若手アーティスト、リーナ・ブローテンさんと、ニーナ・セーテルハウグさんのコンサート。
全7回のシリーズだったけれど、全て満員御礼で大盛況のうちに終了した。
大使や参事からも、ご丁寧なお礼を頂き恐縮です。
ノルウェーと日本の友好の為に、微力ながらご協力できたことを嬉しく思います。
音楽的にもグリーグという作曲家の知らなかった面が見えて大変勉強になりました。
リヴ・グラーセル先生にも感謝です。
来年はグリーグ没100回忌をやれば、101年めでもできるかな(笑)

紀尾井ホール 南紫音さんレコーディング

今日と16~17日は、紀尾井ホールでユニバーサルのレコーディング。
2005年、高校生でロン=ティボー国際コンクール第2位を獲得した、南 紫音さんのデビューアルバムだ。
今日はコンサートでライブを録って、16~17日はホールを借り切って録音。このご時勢に何と、豪華な録音だろう・・。

エンジニアは久しぶりに元フィリップスの福井さん。
物干し竿みたいな長いマイクスタンドで有名だ。
楽器は復活したF1を使うことにした。
このピアノと日本一相性の良い紀尾井ホールに、響板を張り替えた
ばかりのF1が、どんな音で鳴り響いてくれるのか楽しみである。

朝、楽器を搬入して調律を始める。
何と言っても、響板と同時にピン板まで交換したので、ピンは鬼のように固い。
おまけに真新しい弦はグニャグニャと際限なく伸びるような感覚だ。
今日はコンサートで、おまけにライブ録音もするので、ちょっと後悔(笑)
それにしてもピンの硬いのは嫌いだ(笑)
何とか、調律を仕上げて、整音をやり直している頃に江口君登場。
「お~今日はこれが出てきたんだあ~」と言いながら、リハーサル
開始。
圧倒的に太く伸びるようになった低域に、中音域が乗っかって、音楽のバランスが非常に良くなった。
次高音から最高音にかけては、まだ弦圧がいかにも強すぎて、かえって音が抜けないけれど、これはやがて落ち着いてくれば、がらっと変わってくるので心配ない。
何と楽しみな事か・・。

93年、ニューヨークから一緒に帰ってきて以来、様々な伝説を残したF1は、今また新たに生まれ変わって私の理想とする最高に贅沢な新しいニューヨーク・スタインウェイとなった。
それは今の新しいニューヨークスタインウェイが向かっている方向とは明らかに違う。
19世紀の設計のローズウッド、巨匠達の時代の設計のCD199、そして、新型F1。
この100年のスタィンウェイの設計の変化と、世の中の音楽の好みの変化がぴったり符合するから面白いね。

このF1の修理前、最後のレコーディングは、2007年3月録音・9月発売の「干野宜大/熱情・クライスレリアーナ」だった。
このCDは特選盤に選ばれたらしいが、何枚も特選を獲得したこの楽器の最後飾るにはふさわしい名誉だった。
楽器が壊れたから響板を張り替えたんじゃないって事がわかってもらえたかな・・。あ~何て贅沢な趣味なんだろ(笑)

さてさて、話が脱線しました。リハーサルが始まり、ピアノが余りにもパワーがあるので、バイオリンが負けるんじゃないか・・少しピアノの音量を落とそうか、と言うことになったのですが、合わせてみると何と、紫音ちゃんのストラドは素晴らしい楽器で、ステージ上で傍鳴りはしないけれど、客席にはがんがん音が届く・・。
こんなストラドなら、このニューヨークでなくては負けてしまう!と、こっちも全開で行く事にした。

ほぼ満席のコンサートは業界の著名人がずらりと並んで、まさに社交場。
彼女に対する期待の高さが感じられた。
コンサート終了後、楽器は紀尾井のピアノ庫に明後日まであずかってもらう事にした。
ビップ待遇がかえって居心地が悪そうで、なんだか寂しそうな顔をしていた(笑)

今日は紀尾井のお隣の上智大学のホールでもコンサートが重なっていて、こちらにはハンブルグDを持ちこんで、瀬田敦子さんのソロ・コンサート。
お隣なので、敷地をぐるっと回って調律に行ったり来たり大忙しだったけれど、結果よければ全て良しで、ご機嫌な夜だった。

秩父録音最終日

今日は10時半頃に調律を仕上げて、11時に録音開始だ。
テノールの佐野さんご夫婦は、1年の半分はイタリアで暮らしているらしいので、ピアニストが加わるとイタリア語が飛び交う。
先月のドイツリートとは打って変わって、ラテン系は陽気で明るい。

スムーズに録音は終了し、今日は皆で秩父名物マジョラムのカレーを食べに行く事になったけれど、ピアニストのヴィンチェントだけが、「私は残ってピアノを弾いていたい」と言うので、彼とマネージャだけ残し、
我々はマジョラムへ!
おいしい、おいしいと、食べ終わっても話しに花が咲き、すっかりヴィンチェントの事を忘れていて、あわててホールに戻る。
2時間近くほったらかしたから、さぞや退屈しているかと思いきや、まだまだピアノを弾いていた。

さて、撤収だ。今回はピアノの搬出がないから録音スタッフよりも早く帰れる!と思って、ピアノを格納庫に入れようとしたら、ビンチェントが「もっと弾いてて良いか?」・・・やれやれ。
「じゃあ好きなだけ弾いてて良いよ」と言って私はホール事務所でお茶をいただき、おしゃべり。
先月のシュテファン教授の時とおんなじだ(笑)
3日間の歌の伴奏で抑えていたものが一気に噴出し、思いっきりピアノソロを弾いている。
そういえば彼は過去の録音ではこんな事はなかった。
やっぱりニューヨーク・スタィンウェイの底力がわかってきたのか、ピアノから離れなくなった(笑)

そろそろ録音のスタッフも撤収が終わり、いよいよピアノ格納庫に入れなきゃ・・。とホールに戻ると、皆がヴィンチェントが私を探していると言う。
そして私を見つけたビンチェントは「ありがとう、ありがとう、素晴らしいピアノだ!」
私は、ほ~らね!(笑)
それで「さあ、録音は終わった。他に何か要求はある?マッサージしてあげようか?」と聞いたら、このスタィンウェイが欲しい・・!だとさ(笑)

ピアノ庫に楽器をしまって、山を下り、夜の関越を走りながら、17年ほど前にこの秩父にニューヨークスタインウェイを納入してから、私が担当した何十人もの外人アーティストは、そういえば誰一人、文句を言わず喜んで弾いていたな、と思い返していた。
日本人と違って、変な先入観や利害関係もなく、純粋に目の前にある楽器が、音楽的に弾きやすいかどうかしか関係ないわけだから、仕事がとってもやりやすい。



秩父録音再開

今日もピアノは絶好調。
録音も順調に進んで、本日の録音は終了。

私だけ失礼して、やっぱり秩父倉庫へ行って、昨日の後片付け。
横浜の工場では狭いところに押し込まれていた車と部品たちの整理。
さすがにこの時期になると、秩父は寒い。
倉庫の近くの武甲の湯に行って、露天風呂を満喫。

秩父倉庫

本日は録音の中休みなので、やっと私用を片付ける日にした。
8月に借りた秩父倉庫は60坪。ピアノ庫を作っても、まだまだ余裕があるので、横浜倉庫の1部屋を占領している私の私物、趣味の車と部品を秩父倉庫に移す事にした。
そうすれば、横浜倉庫がもう一部屋空いて、またピアノが置けるわけだ。

朝から、我がデュトロ号の荷室を空っぽにして、車や部品を運んだ。
仕事が忙しくて、もう何年も触っていないので、愛車達もすっかり埃だらけ。
老後の楽しみに・・。と思っていたのに、もう老後(笑)
いつになったらのんびり車達をいじれる日がくるのか・・。

秩父レコーディング

福岡~久留米~福山~静岡~と回ってきたツアーの途中から抜け出して、私だけ秩父に向かった。
8、10、11日はビクターのレコーディング。今回はテノールの佐野さんでピアノはイタリア人のヴィンチェント氏。
先月、ズィーパス教授との録音の時、ミューズパーク音楽堂のニューヨークスタインウェイを使用し、かなり調整をして抜群に良くなったので、今回も続けてホールのピアノを使用する事にした。

今朝は搬入がないので、久しぶりに自分の車でかっ飛ばして行く。
ホールに着いて、ピアノ庫から楽器を出して、調律を始めた。
前回より少し音がボケているのと、粒が揃っていなかったので調整をした。
セッティングをしていた録音スタッフが、「あれ?ピアノは持ち込みじゃないんですか?」と言うので
「せっかく調整して絶好調なんだから、これを使うよ!」と言ったら
「いや、ヴィンチェントさんは、絶対ハンブルグしか弾かないんです・・。」
「困ったな・・。それだったら、今日はもうしょうがないので、10、11日にはハンブルグのピアノと換えてもらえますか?」
「いや、ピアノは素晴らしい仕上がりになっているのだから、何の問題もないはずだよ、彼はイタリア人だけど、アメリカに住んでいるから、酷いニューヨークスタインウェイを弾かされて、懲りてるんじゃないの?
これ弾いたら、文句言わないはずだよ!」

こんなやり取りが続いて、結局、ヴィンチェントが弾いてみて、彼の判断に任せる事にした。これは当然。
私はヴィンチェントとは過去に数回レコーディングをしているので、彼のタッチや音色の好みを知っているつもりだ。
今日のスタインウェイを彼が弾かないとは思わなかったけれど、そういえば、もう何年も前だけれど、彼と最初に録音をする時に、ビクターのディレクターから、「今回のピアニストは、ニューヨーク・スタィンウェイが嫌いなので、ハンブルグを持ってきて欲しいのですが・・。」と言われたような気がする。その頃、ミューズパークのスタインウェイは、保障期間が終わり、プロフィールさえ出せば、調律師の制限をせず開放した頃なので、色々な調律師が出入りして、時々酷い状態になっていたりしたので、簡単にハンブルグを持って行ったような気がする。
その後の彼との数回のレコーディングも、深い意味もなく、そう言えば、ハンブルグが続いていた。

そんな事を思い出しているうちに、ヴィンチェントがやってきた。
私を見つけると、「ハーイ!ゲンキデスカ?」ニコニコしながら、イタリア式にハグハグしながらほっぺをくっつける(笑)
そのうち、スタッフが、恐る恐る「あのーピアノを・・。」周りはハラハラ。私とピアニストだけがニコニコ。
スタッフに急かされて、ピアノをパラパラ弾いて、こっちを向いて、
「Oh! Good Piano! No Ploblem!」
ほっとした空気がまわりに流れ、スタッフは平謝り。
笑い話で済んだけれど、ピアニストと調律師の良好な関係とはこんな
ものである、という見本のような話だった。

私がこれで良いと言った楽器はたとえブランドがどうであれ、安心して弾いてくれるのだから嬉しいけれど、責任重大だ(笑)
もちろん今回は、多分彼が過去にアメリカで弾いたどんなニューヨークスタインウェイよりも素晴らしい状態だと私は自信があったので、これから3日間弾きこんで行くにつれ、彼ならこの楽器の奥の深さがわかってきて、もうハンブルグしか弾かないなんて言わないだろうと内心楽しみだった。
もちろん録音は順調に進み、本日終了。
明日は休みだけど、皆はこのまま秩父にずっと泊まるらしい。
私は明日私用があるので、関越をすっ飛ばして渋谷に帰った。







松本 茜 デュオ・ライブ

朝9時にスタッフとロビー集合、このツアーで初めてホテルの朝食を食べた。
スタッフはトラックで、このまま静岡に1人走る。
私は10時35分発の新幹線で岡山乗り換えで東京に14時30分着。
会社に戻って、今夜サロンで行われる松本茜のライブコンサートの調律をする。
茜ちゃんは20歳になったばかりの現役大学生だけど、既にいくつかライブの仕事もしており、デビュー間近だ。

アーティストもどんどん若返り、終演後に2人で記念撮影をしたら、どうみてもカップルではなく、親子にしか見えない(笑)
若いと思っているのはどうやら自分だけのようだ。

福岡~久留米~福山

朝7時に、ロビー集合。
昨日、東京から飛行機で飛んできたスタッフは、また飛行機で東京に戻った。
我々は久留米市まで1時間ちょっと走る。
昨日とはうって変わって普通のホールなので、高さ60cmの搬入口にぴったりトラックを着けて、楽チンな搬入。

マチネの公演が夕方終わり、そのまま400キロ走って福山に向かった。
次の目的地は静岡だけど、夜通し走らず、途中の福山で一泊。
ここには、西日本で手広くPAやレコーディングをやっている「ブライト」という会社がある。元コロムビアのエンジニア、西田さんの会社だ。
トラックをブライトに停めさせてもらって、夜はすっかり西田邸でご馳走になった。
生きたシャコを茹でたものや、生牡蠣、焼き牡蠣、おでんなど、福岡で毎日チェーン店の居酒屋でごまかしていた胃袋もやっと満足した。
ご馳走さまでした!

ホテルの門限2時ぴったりに戻る。
明日は10時出発なので、やっとゆっくり寝られる。

搬入出に7時間!

朝一番の飛行機で東京からスタッフがサポートにやってきた。
まず朝8時にレンタカー屋に行って、手配をお願いしてあった2トン平台トラックを借りる。

今日は2台ピアノのコンサートなのだが、会場にはピアノがない。
ホールは天神の街中のビル8階にあって搬入口は地下3階なのだが、進入路がカーブしているため長さ6m未満のトラックしか入れない。
おまけに、荷さばきスペースもデパートと共有なので、長時間停めておけない。
地上はともかく天神駅前で繁華街だし警察署の隣ということもありどこも駐停車禁止。
よって近くの神社の駐車場でピアノを小型の平台トラックに積み替えて、1台ずつピストン輸送しなくてはならない!
さらに2台とも60cmのステージ上げだ。
あらゆる難関てんこもり。

心配していた雨は降らなかったから良かったけれど、搬入には3時間半もかかって、リハーサル開始まで1時間を切ってしまった。
寒さでピッチが上がってしまって、ステージの上では温度差で2台とも、全く合わない。
ピアノが温まって来るまで待っていられないし、なるべく下げる調律はやりたくないけど仕方ない。
こんな時に役立つのが、調律カバンの奥に入れてある小型のデジタル赤外線温度計だ。
フレームの温度を計りながら、より冷えているほうのピアノのピッチはあまり下げずに、様子を見る事にした。
とりあえず精密さなど、望むべくもないけれど、うまい具合にピッチは目立たないくらいには落ち着いてきた。やれやれだ。

同様に搬出にも3時間かかるとすると、22時閉店のレンタカー屋にはトラックの返却が間に合わない。主催のRKBは、速攻で別のレンタカーを手配してくれたのだが、トラックまで交換する事になって、もう笑うしかない(笑)

終演後、無事に逆ピストン輸送を終えてRKB放送の駐車場にデュトロを停めて、ホテルに帰って来て、またまた昨夜と同じ居酒屋で飲んで食べてやっぱり夜中の1時過ぎホテルに戻った。明日は6時に起きて久留米に出発だ。







和歌山から福岡へ

さて、古座川を朝11時に出発して、次の目的地、福岡に向かう。
和歌山から大阪の湾岸線を抜けて山陽道から九州に入るルート。
今日は840キロのドライブだ。
1999年12月に導入したデュトロ号も、はや18万キロ近い走行距離になった。

ほとんど休みなく走り続けて、22時30頃、福岡に到着。
明日からの主催RKB放送の駐車場にトラックを泊めて、タクシーで天神のホテルへ。
小腹が空いたけど食べに行く元気もなく、ホテル近くの居酒屋で呑んで部屋に戻る。明日は魔のピストン輸送が待っている。



一週間のツアーに出発

昨夜、SW-B型2本とステージ上げ用の装置や台車、一週間分の着替えなどを満載して、朝5時に渋谷を出発。
東名をひた走り、夕方、今回の中継点和歌山県の古座川に到着。
走行距離700キロ。

ここは、良く話題になる元コロムビアの名エンジニア、岡田さんの本拠地。
今回は自宅のスタインウェイBと、この近辺のピアノの修理や調律を頼まれたので、スタッフ共々、大忙しだ。
ここに来たらいつもノンビリ朝から飲んで、風呂入って、小原庄助さんのような生活をするのに、今回は2日半で、調律を12台、おまけにアップライトのハンマーフレンジ全交換を2台やらなきゃならないので、寝てる暇もない(笑)
こういう時は、スタッフを2人連れて3人で行くのだけど、今回は余りにも東京でコンサートが重なっていてスタッフが足りず、2人だけでこなさなければならない。

何年か振りにアップライトの調律をやる事になったので、久しぶりに木ウェッジを用意した。
何年か前、この古座川に1人で来た時に、急にアップライトの調律を頼まれたのだが、木ウェッジを持ってなくて、仕方なく割り箸を削って代用した事があった。(笑)
アップライトの調律は楽だけど、立ちっぱなしなので腰が疲れる。グランドは座ったままで出きるので、肉体的には楽。
とは言っても、1日何軒も調律に回るのは、十何年ぶりだろう…。
こういうふうに地方で調律を頼まれる事は良くあるが、その後のフォローが出来ないのでほとんどの場合お受けしていません。
まぁ古座川は年に何度も行くのと、岡田さん達が移り住んでから、この山奥の村の文化が向上したのと、おじいちゃん、おばあちゃんまで大喜びでピアノや合唱を習いだしたらしいので、とりあえず、鍵盤の戻ってこないようなピアノは治してあげなきゃというわけです(笑)

今まで、携帯も一切通じなかった古座川の山奥に、何とFomaのアンテナが立って携帯が通じるようになった。
良いか悪いか、わからないけど、地元の人達には便利になった。
我々はauとdocomoだから、そんなの関係ねぇ!、ハイ!オッパッピィ~だ。

夜の7時頃古座川に到着してすぐ、スタッフは早速一軒目の調律に出て、私はアクションの引き取りに。東京~青森位の距離を走ってきて、休む間もなく仕事だ。今夜もゆっくり寝られそうもない(笑)
それにしても本州最南端、紀伊半島のガソリンの高い事!