もはや梅雨入りかと思うような雨模様の中、今日は7カ所のコンサートが重なって大忙し。
ところが直前になって、例のインフルエンザの影響でコンサートが1つキャンセルになった。
少しスケジュールが楽になったとホッとしてたら、別の所から、どうしても今日ピアノを持ち込みして欲しいと言ってきて、結局忙殺スケジュールは変わりなし(笑)
私は朝から草加に行って、リハーサルまで立ち会い、岩舟にレコーディングの調律に行っていたスタッフが草加に到着したところで交代して渋谷に戻り、サロンでのショパン連続演奏会だ。
はたまた成田に今日、ニューヨークからスタインウェイのフルコンが届くし、何だかしっちゃかめっちゃかだ(笑)
4回目を迎えたショパン連続演奏会は、今回も即刻完売で大盛況。
今日のピアニストは、長富 彩ちゃん。
菊地裕介、松本和将とともに、間違いなくこれからの日本クラシックピアノ界をしょって立つ1人だ。
いつものように、使用ピアノの説明を少し話して、小坂さんの楽曲解説からはじまり、作品24の4つのマズルカから作品27の2つのノクターンまで。
ショパン24~7歳頃までの作品だけど、長富彩はまだ22歳!
彼女を紹介してくれたのは、コロムビアのディレクターO氏。
2年位前ぐらいから「まだ若いけど、凄く注目のピアニストがいるから是非聞かせたい」と言っていた。
ようやく半年前に会ってビックリ!
デビュー当時のアグネスチャンみたいな(古いか?)あどけないあっけらかんとした女の子。
それがピアノを弾き始めたら、別人28号!(これも古い)
ともかく「こりゃ凄い!」と、相当ハードルの高い我々スタッフも絶賛!
しかも、まだまだ謙虚な22歳。
十年後に残っている若手女性ピアニストは彼女で決まりだね!
ちょっと時間が取れたので、前から頼まれていたニューヨークスタインウェイ、1980年代D型のオーバーホールを始めました。
修理箇所は全弦交換と、弦圧調整、駒ピン打ち変え等々、アクションはハンマーヘッド、シャンク交換その他。
今日はフレームを外したのでフレームの重量測定をしました。
こんな時に活躍する油圧エンジンクレーンと、デジタルスケール!

この時代のニューヨークスタインウェイMODEL-Dのフレーム重量は154キロ。
これはめったに見れないフレームの裏側の肉抜き。

良いピアノのフレームは軽い。
これから、カポダストブリッジの研磨とフレーム塗装及び駒ピン抜きで、本日の作業は終了。

最近は忙しくてオーバーホールはすっかりスタッフにお任せになってしまったので、久しぶりに工場に籠もると楽しいね。
昔のように、ニューヨークから響板を取り寄せて(1500ドルぐらいで買えた)のんびり響板張り替えとか、やりたいね。
窓を開けると目の前に富士山が見えるような工房がいいなぁ(笑)
珍しく1日会社にいると、いろんなお客さんが来ます。
まずは、秋田から修学旅行の生徒さんが職場体験にきて、スタッフの話を聞いたり調律体験をしたり。
午後は渋谷の専門学校が課外授業で、ピアノの歴史やグランドピアノの構造などを学びに来た。
私はスタッフがどんな授業をするのか面白そうなので後ろで聞いていたら、結局質問コーナーに引っ張り出されてしまった(笑)
和気あいあいと若者達とピアノを囲んで話をしていると、若いって良いなあ…頭の中は今のままで、体だけこの頃に戻れないかねえ(笑)

昨年6月に君津文化ホールで収録した加藤知子のシューマンが、やっと製品になってサンプル盤が届きました。約一年がかりで、やっと世の中にでるわけです。
加藤知子は、82年にチャイコフスキー国際コンクール2位になって一躍有名になりましたが、あの当時、著名な国際コンクールで入賞するのは至難の業で、大いに話題になったものです。
その後、DENONレーベルで何枚かのCDを出し、私も90年代には、随分一緒に仕事をさせてもらいました。みんな若かったね(笑)
バブルがはじけて、メジャーなレコード会社に余裕がなくなってくると、こういった実力派アーティスト達のCDがなかなか作れなくなってきて、採算の見込める若手イケメン、かわい子ちゃん演奏家の名曲集しか、コマーシャルベースに載せられなくなってしまった。
クラシックの作品として残さなければいけないのは、実力派アーティストの円熟期からの演奏であることを、本当はみんなわかっているのに…。
アーティストも我々スタッフも、だんだん年を取ってしまいます…というわけで、我々NYSレーベルの出番(笑)
ジェルメーヌ・ムニエ、江口 玲、ジェラール・プーレなど、本当に実力派アーティストだけを録音し続けるこのレーベルは、採算無視の贅沢レーベル(笑)
昨年動き始めた今回の企画も、年末にはTYプログラムに選出され、その後コロムビアとの業務提携盤でリリースが決定した。
つまり、企画制作:タカギクラヴィア、発売元:コロムビア・ミュージック・エンターテイメントというクラシックのCD制作販売の新しい型となった。
ジャケットにはNYS、T&Kコロムビア、コロムビアミュージックエンターテイメント、のロゴが並び賑やかだ(笑)

ピアノは江口 玲、エンジニアは元DENONのチーフエンジニア岡田則男と現DENONチーフエンジニアの塩澤利安ほか、ディレクターは野田智子、そして曲目解説には小坂裕子、と現在考えられる最高のメンバー。あ~何と贅沢なスタッフだろう(笑)
また一つ世の中に作品が残せて嬉しい。詳しくはジャケットを参照して下さい。
発売日は5月27日。さあ、全国のレコード店に急げ!

東京の夢の島に、ビキニ諸島で被爆した漁船、第五福竜丸の展示館がある。
今日はここで、日本フィルの弦楽四重奏+寺嶋陸也による、第五福竜丸の公開半世紀記念・林光作曲「ラッキードラゴンクインテット完結版」初演コンサートがあった。
三年前にもやったのだが、当時は楽曲も二楽章までで、残念ながら私も他の現場に行っていたような記憶がある。
でも今回はどうしても来たかった。と言うのも最近、古座川の近くで、第五福竜丸建造の地という碑を見て気になっていたからだ。
今日、事務局の方と話してみてびっくり!
この第五福竜丸は、なんと、古座川に昔あった中洲で作られたそうだ!
それを聞いて、この船にまつわる話をもっと知りたくなった。
この展示館は入口が狭いのでピアノは外で一度起こさなくてはならず、またステージにあたる場所も狭いので、B型を持ってきた。
調律しながら「そういえば、17年前に裏磐梯ロイヤルホテルで行われた日本フィルのサマーコンサートに持ち込んだのが、このB型だったなぁ」などと、色々思い出していた。
既に3000回を超えた持ち込みコンサートを正式にカウントし始めた第1回がそのコンサートだったので、日本フィル事務局のTさんたちとも懐かしい話に花が咲いた(笑)
その時のピアニストは小川典子。曲はシューベルトの「鱒」。
その後、コンサートグランドが17台にまで増えるとは、その時は想像も付かなかった。
今日のピアニストは寺島陸也。彼とも久しぶりだ。
もうベテランの域に入ったけど、作曲家出身で、とてもうまいので、私の好きなピアニストだ。
何だか今日はいろんな事がこの第五福竜丸によって、縁がある事がわかって不思議な1日だった。
それにしても第五福竜丸が古座川出身だったとはねぇ…。
先週の横浜みなとみらいホールに続き、川久保賜紀&江口玲 in津田ホールだ。

今日はチェロも加わって、トリオでピアソラをやるので、先週とはプログラムがまるで違う。
賜紀ちゃんは、みなとみらいホールの後、琵琶湖ホールに行ってすぐドイツに帰り、
一昨日また日本に戻ってきたらしいので、やっぱり眠い(笑)
お相手のチェロは韓国系アメリカ人で、今はドイツに住んでいるティム・パーク君。
彼は英語しか話さないので、この3人の会話は全て英語だ(笑)
全員アジア人だけど、それぞれアメリカとドイツに暮らして、日本で西洋音楽をやって、会話は英語(笑)

津田ホールは久しぶりなので、楽しみにしていた。
賜紀ちゃんは最近、楽器にガット弦を張るので、少し音量が小さくなった。
先週のみなとみらいホールでは、ピアノの音量を落としたら、なかなかバランスが良かったけど、今日はチェロも加わるので、先週よりは、くっきりはっきり鳴る調整で持ち込んだ。
津田ホールは小さいので、ちょっと迷ったけど、リハーサルではバランスバッチリで、うまくいった。
うまくいかないのは調律のほうで、響板、ピン板を交換して、早くも二年近くになるのに
、一向にピンが緩くならない。ガチガチに堅いピンは調律が楽しくない。
私は緩めのピンが好きなので、F1の調律は苦痛だ。
オーバーホール当初は、高すぎる響板のせいで落ち着かなかったけど、ここ半年位は響板は落ちつくところに落ち着いてきた。
バランスが良くなって来たとともに、気になるところも出てきたので、最終仕上げにとりかかりたい。
F1を1ヶ月休ませるスケジュールがなかなか取れなかったが、今日が終われば少し余裕があるので、いよいよ全弦を外してピンを抜き、トルクの調整をやったり、更に究極の調整ができる。楽しみだ。
ちょっと紛らわしいけど、先日のみなとみらいホールの近くに、県民共済みらいホールという300席のホールがある。
時々貸し出しを頼まれるが、「搬入口の形状が特殊で、フルコンを入れるのは厳しい」とスタッフが言うので、後楽園のJCBホールに行く予定を変更して、私が来てみた。
今日は国府弘子と、サーカスのMASAKOさんのコンサート。
こんな時にぴったりなのがC型だ。
土曜日なので空いてると思ったら、高速道路1000円効果の海ほたる渋滞が、羽田の空港中央まで延びていて湾岸線は大渋滞!
急遽、横羽線に進路を変えて、なんとか9時の搬入には間に合った。
なるほど・・・みらいホールの搬入口は手強い。
しかしC型が何とか搬入できたので、これならフルコンも入るだろう。
C型は、先日のラ・フォル・ジュルネで初舞台を踏んだあと会社で更に調整を煮詰めたので、今日のステージで、仕上がるだろう。

そして、国府弘子登場!
一昨日も、このコンサートのリハーサルでサロンに練習で来てたので、最近良く会う(笑)
私は彼女のさっぱりした性格が大好きだ。女はこうじゃなくちゃね(笑)
一方のMASAKOさんは、和歌山の古座川で一緒にコンサートやったこともあるし、
ご自宅が松濤サロンの近くなので、いつも前を通っているらしくて、何かとご縁がある。
これまたさっぱり感溢れる女性だ(笑)
この二人に、朗読として中井貴恵さんも加わり、とてもシックな大人のコンサートでした。
C型も仕上がったし、このホールにフルコンが入る事もわかったし、みんなとまた、和気あいあいと仕事が出来たし、一石三鳥。
本当に楽しい仕事だね(笑)
ここ何日かずっと雨だったので心配していたのだが、なんと今日は朝から雷雨!
朝8時、大雨の中、スタッフはピアノを積み込んだらしい。
8時15分、自宅にピアノを積み込んだアーバンが迎えにきた。
今日は智内威雄さんと、川口のアートギャラリー《アトリア》にて、美術館コンサート。
智内さんは、ドイツ留学中にジストニアを発病し、右手に障害が残ってしまったため、その後左手のピアニストとして活躍しています。
若くてなかなかイケメンのピアニストです(笑)

お父さんは有名な画家、今日は親子で個展とレクチャーとコンサートが催されます。
最近美術館でコンサートを頼まれる事が増えたけど、ほとんどの美術館が、天井も高く、壁が多いので、下手なコンサートホールより良く響く。
ピアノには響き過ぎる事が多いけど、弦や歌は演奏しやすいよね。
今日は初めての場所で、搬入経路の確認にも行っていなかったのと、「響きすぎるかも…」と言う指摘もあったので、フルコンではなく、Bを持ってきた。
現場は広々としていて、フルコンでも何も問題はない場所だった。
本番は満員御礼で大盛況。左手だけで、素晴らしい演奏をする智内さんのテクニックにびっくり!
私は両手でもあの半分も弾けない(笑)
演奏会が終わってサイン会の時、中年の女性がピアノに寄ってきて、中をのぞき込んでこう言った。
「綺麗な音だったわねぇ~、あらピアノの中にサインがしてあるわ、みんな見て見て!」
周りにお友達らしき数人のおばさま達が集まってきて、ピアノをのぞき込む。
「誰のサインかしらねぇ~…ヘンリー…ヘンリー…あっ!ヘンリー・マンシーニのサインよ!」
しきりに感心するおばさま達の後ろで、私は必死で笑いをこらえた。
あまりにも、確信を持って言いきるので、そっとしておいた(笑)

勿論それは、スタインウェイ社名誉社長、ヘンリー・スタインウェイさんのサインでした(笑)
赤坂ACTシアターに朝7時搬入で、今日は小野リサのボサノバのコンサート。
小野リサさんのコンサートには何度かピアノを貸し出ししているけど、いつもタイミングが悪く、私は他の仕事と重なっていて、来れなかった。
一度生で聴いてみたいと思っていたので、今回は早々に「俺が行く~っ!」と宣言していた。
16歳位の頃ジョアンジルベルトに憧れて、ボサノバの弾き語りギタリストを目指して修行に明け暮れ、自由が丘の「5スポット」と言うジャズ喫茶で働いていたので、ボサノバと言うジャンルには思い入れが強い。
何年か前、初めて聴いた小野リサの歌にびっくり!
あの頃毎日聴いたアストラッド・ジルベルトにそっくり!
これが日本人と聞いて、二度びっくり!
ボサノバはブラジル語(ポルトガル語)で歌えないと味がでないけど、この完璧なブラジル語は何だ?と思ったら・・・
やっぱり彼女はサンパウロ産まれで、十歳まで日本に来たことがないらしい。
四谷にあるサシペレレというブラジルレストランのお嬢さんらしい。
などなどいろんな事がわかってくると、こりゃ雰囲気バッチリなわけだ(笑)
知れば知るほど、どうしても生で聴きたいと思っていたので、今日は楽しみにしてました。

ピアニストは誰なのかと思ったら、フェビアン・レザ・パネさん。
十年振りかな…昔は赤坂のコロムビアのスタジオで、良く一緒に仕事しました。
彼は芸大の作曲科出身で、江口君の先輩だ。
松濤のスタジオにも何度か来たことがある。
私の顔見るなり
「あのコロムビアの第1スタジオにあったスタインウェイはどうなったんですかあ?」
「あれは私が引き取ったんですよ~。
そうそう今日のピアノは、第2スタジオのほうにあったスタインウェイですよ!」
「あ~懐かしい、どおりで、素晴らしいコンディションだと思いましたあ~」
等々、懐かしい話が続く(笑)
しかし、偶然とは言え、憧れの小野リサさんと一緒に仕事ができて、しかも、そのピアニストが旧知のパネさんだなんて、この仕事してて良かったなあ~。役得、役得(笑)
さて、ここでボサノバについて、ちょっとおさらい。
ボサノバは今から50年位前にブラジルで、アントニオ・カルロス・ジョビンや、ジョアン・ジルベルト達が作った音楽です。
当時、台所で皿を洗っていたジルベルトの奥さんであるアストラッドに歌わせてみたら、この全く素人っぽい歌声がボサノバにぴったりだったらしい。
そして、アストラッドだけが唯一英語が話せたので、彼女に英語で歌わせた事が、後の全米デビューに繋がり、それが大ヒットしてボサノバが有名になったんですよ。
有名になってお金が入ったせいか、ジルベルト夫妻はその後離婚する事になるけど、この人達の残した功績は大きいね。
私が十代の頃、このボサノバの魅力にのめり込んだのは、とても複雑な高度の不協和音の進行の上に、単純ではあるけど、これまた不協和音のメロディーが乗っているところだった。
ディサフィナード(調子はずれ)という曲もあるぐらい、正しい音程で歌うのは難しい。
故に、ピアノ、ギターの調律が完璧に合ってないと、とても汚い和音になってしまう。
まさに不協和音の美しさを楽しむところに、ボサノバの真髄があるところが面白かったのだ。
後に調律師になって、完璧に調律されたピアノだと、この不協和音の連続がなんとも美しく響くことを経験してから、改めてボサノバは調律がいかに重要なファクターかと実感した。
私が調律師になるきっかけだったボサノバを今日は二階席で堪能させてもらいました!
先日の日記に書いた、貸し出し用のセミコンC型の初デビューは、ラ・フォル・ジュルネになった。

今年は3、4、5日の3日間に縮小して開催されているが、バッハということもあって、あまりピアノは目立たない。
5月1日にピアノの搬入は全て終わったのだけど、急遽展示ホールにもピアノを入れたいと依頼があった。しかもオケ中で使うのでセミコンのほうがありがたいとの事。
C型が全弦交換を終えたばかりで、ステージで鳴らしてみるにはちょうど良い。
そんな訳でC型の初デビューとなった。
早朝8時に搬入し10時アップの調律だ。
このピアノは初舞台なので、昨日急遽、調整をやったけど、音量や音色の最終仕上げは、やはりステージの上じゃなきゃできないので、今日のようにちょっと脇役の出番は、楽器を仕上げるには誠にうれしい機会だ(笑)
不景気のせいか、昨年よりめっきりスポンサーブースが減って、展示ホールが広くなった気がする。
C型はやはり、とっても普通のスタインウェイで(笑)、マニアには物足りないけど、最近とっても依頼が増えたクラッシック以外の貸し出しには、みんなが喜ぶので便利だ。
それにしても、本当に普通のスタインウェイだなぁ(笑)
この子の性格がとっても良くわかったので、会社に返ってきたら、もう少し良い子に調整してあげよう(笑)
10時になったので、地上に上がって、恒例の屋台村で朝ご飯。
そろそろ人が溢れて来た。
今年は天候に恵まれたね。
今日は、川久保賜紀&江口玲のコンサート。

賜紀ちゃんとは昨年2月、徳島でのコンサート以来だ。
二人とも、それぞれ2~3日前にニューヨークやドイツから来日したばかりなので、一番眠いころ。
しかも、マチネだから、更に眠いよね(笑)
今回は無事に飛行機に乗ったと思いきや、今度は豚インフルエンザ騒動だ。
本番の時に、2人ともマスクをして登場したら受けるかな…。(笑)

写真は、この2人がリハーサル中に、突然会話が英語になるいつものシーン。
譜めくりの人がビックリする。
江口君が、両手を椅子の後ろについてもたれかかる姿は、本番では決して見れないけど、リハーサル中にリラックスすると必ずするポーズ(笑)
インフルエンザにゴールデンウイークにマチネ。
この三重苦、横浜みなとみらい大ホールにお客さんが入るのやら?と思ったら、何と大入り!
ありがたいね…。
今日は演奏中にヴァイオリンの弦が切れるアクシデントもあって、素晴らしい演奏+ハプニングも見れて、お客さん大満足(笑)
東横線が桜木町から、中華街まで伸びて、渋谷から直通で、みなとみらいまで行けるから便利になった。
マチネなので夕方には終わってピアノを搬出して横浜倉庫に下ろし、明るいうちに渋谷に戻ってきた。
貸出用のピアノが、ここ数年で急速に増えたので、とうとう死守していたマイ・ガレージも、機材や工具の倉庫に使いたいというスタッフ達の要望に押されて、明け渡す事になった。
松濤サロンの裏にあって、シャッター付きで車2台分のスペース。
長年私の愛車達の住みかだったけど、今年に入って既に「ジャガーは乗らないから」という理由で秩父倉庫に追いやられ、そのスペースは機材置き場になっていた。
一番大事にしているホンダS800Mクーペだけは手元に置いておきたかったのに、遂に押し切られてしまった。


仕事で良くパリに行っていた15年程前に、エッフェル塔の近くの中古車店の地下倉庫で見つけた1963年に日本から輸出されたホンダS800。
この車と目があった時、日本に帰りたい…。と訴えているような気がした(笑)
早速購入手続きをし、その時はフランスからニューヨークに飛んだので、ニューヨークのJFKに着いてから、当時ピアノの空輸でお世話になっていたエメリー航空にパリから東京まで車の空輸をお願いした。
そして1ヶ月後、無事成田に到着した帰国子女。フランスのナンバープレートを付けたままで、約30年振りに日本に戻って来た訳だ。
それ以来、私のガレージで隣の車はいろいろ変わっても、ずっと住み続けていた。
乗るのは1年に1度位(笑)。
でも一番大切にされてきたこの子も、私が現在住んでいるマンションの駐車場に引っ越してきた。
横浜工場に未だに鎮座している愛車ロータスヨーロッパも、追い出そうと、スタッフ達は考えているような気がする…。
増え続けるスタインウェイ達に今や私の趣味の時間も場所も奪われてしまった。昔は良かった(笑)
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