このシリーズもそろそろ後半戦に入って来ました。
今回は松田理奈(Vn)、f江口玲(P)のデュオです。

理奈ちゃんがこのサロンでコンサートやるのは確か年ぶり!
今日も完売で客席は約80名びっしり。

いちいちケーブルを引いてたMCマイクを、昨夜赤外線のワイヤレスに変えたので今日が初使用。
調子に乗って私が喋り過ぎました(笑)

コンサート終演後はカフェでお決まりの打ち上げ。今夜も盛り上がったね!
今週はCM撮りや保守点検やらでバタバタしてたら、もう1月も終盤!早いねぇ~。
今日はここ1週間ずっとスタインウェイを貸出しをしているミュージカル公演、新国立劇場へ調律に行ってきました。

スタッフ交代で毎日調律に入ってるのでさほど狂いはないけど、驚いたのはマイクの数。

まるで「弁慶の立ち往生」状態(笑)
本番見たいけど、忙しくて見に行けないなぁ残念。

その後スタインウェイの保守点検をやっている現場に顔だして様子をチェック。
今日は久し振りに内緒の愛車を引っ張り出してホールまでドライブ。

この車はコンサートの仕事の時は絶対に乗っていきません。
途中で止まったら笑えないから。
今日は保守点検の仕上げチェックだからのんびりしたもの。
ホンダS800クーペ。
知ってる人は結構な歳(笑)
エンジンからミッションから全て私が組み上げた一品。なかなか快調!
松濤サロンで14時に始まった『奥田弦サロンコンサート』の前半を聞いて、サントリーホールへ向かいました。
ホントに忙しい1日(笑)

80名のサロンから今度は2000人のサントリーホール。
常々言っている「『良く鳴るピアノ』とは決してそば鳴りするのではなく、楽器のボディが鳴って音が遠くまで届く」という事を、今夜は証明しなければなりません。
あの爆音のようなfffffから、囁くような、かつ輪郭のある、pppppまで圧倒的に広いダイナミック・レンジを持つ《CD75》は、3000人のコンサートホールに向けて開発されたので、2000人のサントリーホールでもまだ余裕があります。
あとは超満員のお客さんで埋め尽くされ、しかも真冬の雨模様、音を吸う悪条件のなか、《CD75》がそれをはねのけ、いかにピアニストを助けるか、神に祈るしかありません。
そして本番。私は舞台袖からあの満員の聴衆が固唾を呑んで待つ、恐ろしく孤独なステージにピアニストを送り出さなければなりません。
何千人、何万人のピアニスト達の中から勝ち抜いてきたピアニストの晴れ舞台ですから、もしピアノにトラブルが起き、演奏に決定的なダメージが生じたら、今後の演奏家としてのキャリアに大きな傷をつけてしまうかもしれないと、常に胃の痛い思いをしています。
ホールのピアノならば最終的にはピアノのせいにできますが、持ち込みの場合は言い訳できません。
その責任の重さは半端ないものがあります。
そんな私の心境とは裏腹に、颯爽とステージに出て行ったこの若者は、むしろ満員の聴衆のプレッシャーを味方につけ、本番では更に完成度の高い演奏を披露してみせたのです。

そして割れんばかりの拍手とスタンディング・オベーション!
それは反田恭平のエンターティナーとしての才能が認められた瞬間でした。
私はこの光景を見ながら彼と初めて会ってからの2年半を思い返していました。
才能溢れる、この若者を表舞台に出す私の役目は終わりましたが、これはデビューコンサートです。
彼はここからがスタートであり、皆の力で今があるということを肝に命じて、世界に羽ばたいていってほしい。
そしてこの伝説のピアノCD75から学んだ魔力を思い出して、現代のピアノにも生かしてほしいと思います。
実は私にとって、今夜はもう一つ感慨深い思いがありました。
1990年頃、私がフランツ・モアにホロヴィッツ2度目の来日時(1986年)の話を聞いた時、ちょっと面白いエピソードがありました。
「あの時、ある新しいコンサートホールに連れて行かれたんだよ、まだ建築中のとても大きい綺麗なコンサートーホールで、名前は…お酒の名前だったかなぁ…。」と言うので、「サントリーホールでしょ?」と言うと、「そうそう!そんな名前だった!まだ新品の床だからって、みんなスリッパに履き替えさせられたんだよ…」と大笑いしました。
サントリーホールは1986年10月にオープンしたので、もしホロヴィッツ来日時(6月)に完成していれば、幻の「ウラディミール・ホロヴィッツ サントリーホールこけら落としコンサート」が実現していたかもしれません。

パイプオルガンの両脇に吊るされた「SUNTORY HALL 30Th」の赤い垂れ幕。
あれから30年、ホロヴィッツのピアノ《CD75》は、サントリーホールのステージに立って何を思ったのでしょう。
今日の前半は、松涛サロンで14時開演、奥田弦jazzライヴ。
昨年このサロンでレコーディングした時はまだ13歳!
キングレコードからリリースしたこのCDは、奥田弦君のオリジナル曲やクラシックの名曲を彼のアレンジでリメイクしたもの、宮川彬良さんとの2台ピアノもあり、盛り沢山な内容です。
松涛サロンも完売超満席!

いつもは楽屋にするスペースもパーティションを取り払って客席にしたので、楽屋はカフェ裏のメンテナンスルーム。
ここは部外者進入禁止の秘密基地なのですが、まだまだオチャメな弦君は私のオモチャのタランチュラや軽トラックのラジコンを見つけて大騒ぎ!
ここに住みたいと言い出す始末(笑)
わずか14歳になったばかりなのに、その音楽センスは抜群。
即興音楽のセンスは習っても練習してもある程度しか上手くならないから、これはもってうまれた才能。

お客さん達からの『私はあの歳の頃なにやってたんだろ…』って感想は実感こもってた(笑)
この本番中にスタッフ達はサントリーホールにCD75を搬入に行きました。
さて前半だけ聞いて、私はサントリーホールへ向かいます。
和歌山・勝浦のTさんから、今年も生マグロが送られて来ました!
早速遅くまで残業していたスタッフを集めて、カフェ・タカギクラヴィア閉店後に急遽新年会その2!
マグロ丼会を開催。

普通のクロマグロとは違って和歌山のメバチマグロ。それもとれたての生なので、モチモチ感最高!
Tさんに感謝しながら、あっという間に完食!(笑)
松涛サロンで不定期に開催している秘密塾。
各界で話題のトップランナーを招いて、これまた各界のそうそうたるメンバーが集まって異業種交流の勉強会。
それぞれがテーマに合わせたワインを持ち寄り、ウンチクを語って、カフェタカギクラヴィアOシェフの料理を食べ飲み、今回も14人のメンバーでこれだけ呑みました(笑)

丁度ピンボケ写真がとれたのでアップしますが、それはそれは各界の重鎮なので、メンバーは秘密。

異業種でも頂点で活躍している人達はやはり価値観は同じ。
人生悩む事なんかないね、成功の鍵はやはり1つだよ。

昨夜は大雪の福井を抜けて京都へ。京都はほとんど雪は無し。
一仕事終えて、昼に京都東インターから高速に上がったら大渋滞!
あまりにも動かないので途中の大津パーキングでトイレ休憩。

501の肉まんを買って渋滞対策。
名神で2ヶ所で雪でスリップした事故があったらしい。
一宮で事故車の横を通り抜けて、やっと名古屋に着いたのは19時!
今夜は笠寺のワシントンホテルでとりあえず温泉。
大雪警戒が出ていたので昨日のうちに出発したかったのですが、昨日も保守点検の監督だったので、仕方なく今朝4時半に出発。
関越が雪で通行止めだったので、東名~名神~北陸道~のつもりが、朝には通行解除になったので急遽軽井沢回りにしました。
バスが転落した碓氷峠とは違う高速は、意外と雪がほとんど無くて快調。
親不知~子知らず~フォッサマグマの糸魚川を抜ける。
この糸魚川には日本初のニューヨークスタインウェイがある…あるいはあった、糸魚川ホールがある街ですね。
金沢には13時到着予定が、まさかの11時半に到着。ミスドで時間調整。
パジェロとスタッドレスは無敵だねぇ。

今日は金沢の仕事が終わったら京都に移動。
しかし金沢~福井が大雪で通行止め!
やむなく一般道を走るも、物凄い突風!

なんとか無事に福井市に到着。
意外と雪はないんだね。その後は順調に走って京都には夜の10時に到着!
今日もピアノの持ち込みが重なっています。
でも浜離宮と六本木は近いし、六本木は写真撮影なのでピアノだけ持って行って、調律なしという楽な仕事(笑)
気をつけなきゃいけないのは、CM撮影。
動画の場合は音も録る場合が多いので、撮影だからと油断して調律をしないで持っていくと、予定外の演奏収録になることもあるんです。
浜離宮には久しぶりにルイスを持ってきました。

そして今日は私がステマネを頼まれているので、袖でドアマン(笑)

従って本番が始まると終演まで袖に待機。
プログラムを見ながらドアを開けたり閉めたりしてピアニストを送り出したり、袖に迎え入れたり忙しい。
終演後はアラスカを貸しきりで、パーティ。
それはそれは各界のお偉いさんが沢山出席の中でスピーチさせられました。
裏方なのでヨレヨレのセーターで失敗したなぁ…
今日と明日は、ホールのスタインウェイ保守点検。
今回は小ホール、今月末は大ホールと保守点検が続きます。
保守点検はいつもスタッフの仕事なので、私は単なる監督(笑)

タカギクラヴィアが保守管理をしているコンサートホールのスタインウェイは基本、他社の調律師を拒みません。
個人で独立している人も、楽器店に所属している人も、ピアニストが安心して弾けるのならそれに勝ることはありません。
ほとんどのコンサートホールでは、スタインウェイの調律師を指定しています。
表向きの理由は「ピアノの保守管理の都合上」ですが、本音は営業上の独占に他なりません。
民間ホールなら何をしても自由ですが、公共ホールでは未だに、いやピアノが売れなくなってからは更にこの現象がひどくなっています。
他社の調律師が調律をするとピアノの状態が悪くなるという業者は、何か問題のあるピアノを納入したのかも知れません。
楽器を他社に見られたくない理由があるのかと、役所は疑うべきです。
中にはピアニストの言いなりになってピアノの性格まで変えようとする調律師もいますが、それはやってはいけません。
公共ホールのピアノを、それぞれのピアニストの好みに合わせることは不可です。
理由は簡単。
公共のピアノですから、その場で現状復帰できない作業はやってはいけないのです。
それについて文句を言うピアニストは、自分で好みのピアノを持ってくるか、スポンサーを見つけるべきです。
他人のふんどしを借りて勝負をするなら、ちゃんと洗って返すべきです。
たとえそのピアニストが有名であろうと、たったそれだけの経費をケチるようなピアニストに芸術を語る資格はありません。
公共ホールのピアノを弾くのなら、多少の我慢はするべきです。
こういった甘えたピアニストと調律師の組み合わせが、公共ホールのピアノ調律や保守管理を独占する下地にあるのです。
私はそんな公共ホールで「さすが!素晴らしい」と思ったピアノに出会ったことはありません。
トヨタ車を日産や民間で車検を受けたら壊れるのか?というのと良く似ています。
我々が保守管理を実施している公共ホールのピアノは、他社の調律師welcomeです。
そしてぜひ、感想を記録簿に書いて下さい。
《CD75》今年最初のコンチェルトは、群馬交響楽団と反田恭平でラフマニノフ第2番。
マチネなのでピアノ搬入が朝8時!

11時アップでリハーサル。
搬入口を見て思い出した!このホールは何年か前に来た事がありますねぇ。
リハーサル始まってから、今日はビデオカメラを忘れた事に気がついた。
従って保存映像はなし。
反田君はこの後23日にサントリーホールでデビューリサイタルをやって、いよいよ本格的に演奏家として羽ばたいて行きます。
無事彼のデビューのお手伝いができて私も嬉しいです。
なんだか旅立つ息子を見てるみたいだなぁ、息子居ないけど(笑)

《CD75》は、今日の演目ラフマニノフには、これしかないと言うほどぴったり。
この渋川まで追っかけのファンが来てたから、出足は順調だね。

コンチェルトの本番が終わっても、反響板は動かせないので、ピアノは搬出できません。
帰りの地獄の渋滞を考えて、後半も全部聴いて帰りました。
やはり帰りは関越道30キロ以上の渋滞!やれやれ。
会社から歩いて行ける松涛美術館。
ここでも時々コンサートがあります。
エレベーターが狭く、M型かL型しか入らないので、2年前に作ったピアノ油圧式起こし機大活躍!

これを作ってから狭いところにも我々でピアノが搬入できるようになって、またピアニスト達が喜んでます。
搬入が終わって歩いて帰り、サロンではオーディション。
一昨日から続いているサロンのレコーディングも今日は最終日。
早朝にサロンの調律を済ませてから、朝9時、1/23のリハーサルの為にサントリーホールへ《CD75》を運びました。
実は1986年6月、ホロヴィッツが2度目の来日をした際に、まだオープン4ヶ月前のサントリーホールに案内されて、「工事中のホールをスリッパを履かされて見て回ったよ」とフランツ・モアが良く言っていました。
と言うことは、半年早くオープンしていたら幻の「ホロヴィッツ・サントリーホール・オープニング・コンサート」が実現していたかもしれません。
今年はサントリーホール30周年。
そのホロヴィッツピアノ《CD75》で、23日にデビュー・リサイタルを行う反田恭平。
チケットは完全に売り切れです。
2000人以上のホールでピアノ・ソロコンサートが完売になるなんて、相当マレな事なので私も驚いてます!
そんなわけでうっかりしていて、頼まれていたチケット10枚(もちろん有料)が、なんと手に入らない!ごめんなさい~!


サントリーホール貸し切りりでリハーサルなんて羨ましいねぇ。
12時はに終わって、搬出して会社に戻ってレコーディングの続き。
何なんだかねぇ~、こうやっていつもの間にか今年も始まって、もう1週間過ぎたね~。
毎年三ヶ日が明けると、定例のレコーディングが始まるので、今日から3日間サロンは貸しきりです。


私は三日から来客や片付けで追われて、もうこのレコーディングですから、のんびりしたのは2日だけ。
でも隣のカフェやメンテナンスルームでサロンの映像がハイビジョンで見られるようにしてあるので、他の仕事をしながら録音の調律立合いができて便利。
録音チームの皆さんもその事がわかってるので、何か問題があったら隣に声をかけてくれます。
さぁ今年もこんな感じで始まりました、
よろしくお願いします。