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第10回 6月19日コンサート    6/19

今年もこの日がやってきました。
相変わらず雨男のCD75、今日も嬉し涙雨の中、2台のピアノを白装束軍団となったスタッフ達が、それぞれのトラックに積み込んで上野に出発しました。

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コロナ禍の自粛の中、今年も全国からいらしたお客様で完売。
今も興奮冷めやらずのメールを多く頂き、ありがとうございました。

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今年は第10回を飾るに相応しいラフマニノフピアノとの共演が実現!
現在考えられる最高のDUO、夢のステージです。
この2台の圧倒的な存在感。
戦前迄のクラシック音楽界はスケールが違った事が良くわかります。

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真の巨匠と称されるのは作曲家ピアニスト。
この時代、その多くはロシア人。
彼らと共にスタインウェイはピアノを改良し、巨匠たちは名曲を書きました。
なので巨匠たちのピアノは、ロシアン奏法を駆使することによって、叩かなくてもffffが出せ、乾いた倍音溢れる音色で万色の景色が描けるのです。
「現代のピアノのように叩いて鳴らそうと言う奏法ではコントロールできません。」といつも言ってることを証明しなきゃならないので責任重大!(笑)

そしてもちろん、江口君、伊賀さん&山口君は、今回も素晴らしい演奏を披露してくれました。




このラフマニノフピアノとの出合いは運命的なものでした。
2015年、私の古くからの友人である河上素子さんから、「主人の友人の長谷川泰さんがホロヴィッツのピアノを見たいと言うので3人で行って良いですか?」と連絡がありました。
素子さんは彼女が高校生の頃から自宅のピアノの調律にお伺いしていて、やがて音大に入り卒業後は音楽家としての道を歩んでいました。
この年の秋に3人でお見えになり、長谷川泰さんと初めて会ったのもこの時でした。
ちょうど泰さんがラフマニノフのピアノを買おうか迷っていると言う話もここで聞いたので、「ホロヴィッツピアノとの共演ができたら良いねぇ~」と夢を語りました。
翌年、素子さんが作曲した音源をメールで送ってくれたので、
「そういえば泰さんピアノ買ったのかなぁ…」
「私も気になってたので泰さんに聞いてみます!」
というやり取りが携帯に残っていました。
そしてこの年、素子さんが病気で急に亡くなった知らせを受け愕然としました。

2019年、泰さんよりラフマニノフのピアノを日本に運んで弾けるように修復したいと連絡があり、泰さんが持ってきたピアノの詳しい資料を見て、またまた驚きました。
鑑定書は私の師であるビル・ガーリックが書いたものでした。
この重なる縁で必然的このプロジェクトが発進したのです。
2020年1月末に私は、ニューヨークに飛び、TAKAGI KAVIER USA INC.を任せているChimaさんに、このピアノを日本に送る作業を指示しましたが、時はまさにコロナのパンデミック直前!
ニューヨークは日に日に状況が悪くなり、都市ロックダウンの噂の中、JFK空港が事実上の閉鎖になる直前に成田行きの飛行機に乗り、無事に東京に到着。
通関が終わって渋谷に置いてあるホロヴィッツピアノの隣に並んだのは4月1日。なんとそれはラフマニノフの誕生日!
まるで全てが何かに導かれているようなドラマでした。
それから1年、全く弾けない状態だったからやっと復活したラフマニノフピアノ!



まだ全弦を張り終えて1ヶ月位なので、調律不安定なのが心配でしたが、今日ステージに復活して初めての音出し!
リハーサルでは百戦錬磨のCD75とは音の鳴りの差があり過ぎて皆困ったので、とりあえず20分リハを早く切り上げてもらって、音量調整。
開場中に私がピアノの調整やってるのは珍しいので写メされましたね(苦笑)

さぁ後はピアニストに託すだけ!
本番は客席で聴きました。



河上素子さんとビル・ガーリック氏には、特別な席を用意しました。

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スタインウェイ本社の設計開発アドバイザーだったビルが教えてくれた巨匠達のスタインウェイの秘密。
私と泰さんとラフマニノフピアノを引き合わせて、この世を去った素子さん。
今夜はこのかけがえのない縁を結んでくれた2人も、喜んで聴いてくれたと確信しています。



参考までに、ラフマニノフピアノのヒストリーを下記に添付します。

《スタインウェイ#273182の歴史》

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このピアノは1931年にラフマニノフのために製造され、当時のスタインウェイ社は特に素晴らしい楽器と評した。
ラフマニノフも大変気に入り、1934年にはツアーにこのピアノを持っていった。彼はこのピアノで作曲と演奏をした。
その後、ラフマニノフはこのピアノをシンシナティのAbner Thorpeに売却。ラフマニノフが使用していた時期には、このピアノはホロビッツのお気に入りのピアノとしても知られている。

1950年代後半にサミュエル・バーバーとGian Carlo Menottiは人里離れた美しい自然の中で真剣に作曲をするためにニューヨークのMt.Kiscoに共同で家を購入した。
そしてニューヨーク57丁目の当時では有名なピアノブローカーBaslow & Sonsに特別なピアノ探しの協力を依頼した。Baslow & Sonsはこのピアノは彼らの知る限りで最高の楽器と推薦し、バーバーはこのピアノを購入してMt.Kiscoの特別の部屋に搬入した。
Mt.Kiscoでは、バーバーとメノッティはもとより、多くの客人や友達がこのピアノを演奏した。
メノッティは”The Most Important Man”を始めとして多くの作曲をした。
バーバーは”ピアノソナタ”と”ピアノコンチェルト” を含め、60年代のほとんどの曲をこのピアノで作曲した。
ピアノコンチルトは1962年9月24日にフィルハーモニックホール(リンカーンセンターのエイブリーフィッシャーホール、現在はデビッド・ゲフィンホールと改名)の杮落としでErich Leinsdorf指揮、John Browningとボストンシンフォニーにより初公演された。
これは1964年のピューリッツァー賞(Pulitzer)を受賞した。
バーバーはこのピアノで二つの有名なオペラ”Vanessa”(これもピューリッツァー賞を受賞)と”AntonyとCleopatra”を作曲した。
バーバーとメノッティの家にこのピアノがあった時期には著名なピアニストや伴奏者がこのピアノを弾いた。
バーバー曰く、「特にウラジミール・ホロヴィッツは、彼の知っている限りでは最高の楽器の一つ、彼はこのピアノを愛していた。」
他にこのピアノを弾いたのはRudolph Serkin, John Browning(彼はこのピアノは自分には良すぎると言った)、
Pinkus Zuckerman, Leonard Bernstein, Erich Leinsdorf, Charles Wadsworthなど。 Yehude Menuhin, Leontyne Price とMaria Callasなど、伴奏者とともに演奏したり歌った。

1971年後半にスミソニアン博物館が一般に陳列するために購入を希望したが、1971年12月11日にMt.Kisco在住のJoan S. Ransomが奥さんのSallieへのクリスマスプレゼントに購入した。
その後未亡人となったSallieさんから2015年にアメリカ在住の化学者の長谷川泰さんが購入。
2020年3月コロナのパンデミックの直前ニューヨークから日本に空輸してタカギクラヴィアにて修復を開始。
2021年6月19日コンサートステージ復帰を果たす。