約1週間の秩父レコーディングが終わって、次の出張は今日から9日間北海道へ。
蒸し暑い東京を離れて、ピアノ車と乗用車2台で

大洗から深夜便の苫小牧行きフェリーに乗り込み、

もう1人のスタッフは、明後日、旭川空港で合流します。
夜22時30分頃に乗船して明日の夜まで船の上なので、早速ビールを飲んで夜食を食べて、日頃の寝不足解消を解消の為に薬を飲んで爆睡!
昨日は打ち上げで、例によってルートイン前の「甲子」に行きました。

長い長い6日間のレコーディングもいよいよ最終日。



今回のピアニストM川さんは初めてだったけど、テクニックが素晴らしいので、弾けなくて録り直すテイクは皆無。
音楽的な違いや、本人の出したかった音色がある音だけ弱かったとか、高度なテイクを繋げる作業は本来のレコーディングの姿。
技術的に無理な部分を何度も弾いて、奇跡的に弾けたテイクを繋げていくレコーディングが多い中、で若手のアーティストのレヴェルは確実に上がっている。
というわけでレヴェルの高いレコ―ディンは無事、全曲収録終了!お疲れ様!
渋谷からピアノ車が来て搬出後、ジャガーは秩父倉庫に留置して帰りました。
2022年3月27日(現地時間)、フランツ・モアが亡くなった。
わかってはいたけど、とうとうこの日が来てしまったのは悲しい。

私が彼に初めて会ったのは1990年。
日本では「ニューヨークにもスタインウェイあるらしいけどジャズならねぇ、クラシックなんてとんでもない」とピアノ業界は、ほぼ全員思っていた。
戦前に巨匠と呼ばれたピアニスト達のほとんどがニューヨークのスタインウェイを弾いていることの矛盾など、見て見ぬふりか、知ろうともしないで進んできた日本のピアノ業界と愛好家たち。
それは単に戦後の日本に訪れたクラシック音楽ブームにおいて、「クラシック/ドイツ/ハンブルグ製スタインウェイ」が王道と勝手に思い込み、ピアノメーカーにとって都合良く洗脳されてきた証である。
かくなる私もそう思い込んでいたので、最初にピアノ技術を学びたいと向かった先はオーストリアとドイツだった。
なので社名もTakagi Klavierにしたわけだ(苦笑)
しかし後に「ニューヨークにあるスタインウェイ本社もまぁ見ておこう」と気軽に向かった先で見たものは、私のピアノ技術者としての人生を根本から変えてしまうほど衝撃的な世界だった。(自著スタインウェイ戦争に詳細あり)
まぁ考えて見たらスタインウェイ氏が1850年に祖国ドイツを捨てて新興国アメリカに移民として一家で渡ったのは、ドイツではほとんどピアノ製作者として成功していなかったということ。
結果、アメリカでの事業が大成功して、次にロンドンに営業所を作り、ヨーロッパ進出を目指した。
アメリカに移住して約30年近く経ってから、ハンブルグにも工場を作って主要パーツを送ってノックダウン方式でビアノを作っていた。
しかし、その後の二度の世界大戦でドイツはアメリカの敵国になったのだから、ドイツでアメリカの会社がのんびりピアノ作りを許されるわけもない。
従ってハンブルグ製のビアノがコンサートステージに登場するようになったのは戦後のことである。
こんな簡単な理屈すら日本のピアノ業界は理解していなかったのだから、思い込みと勘違いのクラシック業界だったわけだ。
ところがどっこい、この事を表に出されては困る連中が、後に必死になって妨害を始める。
しかし真実は真実。
営業マンと違って技術者は嘘を付いてまで金儲けする気はサラサラ無い。
正しいピアノの開発の歴史を知ると、点と点が線として繋がり、技術的にスッキリする。
私がニューヨークに行った頃は(1990年頃)スタインウェイ社は既に2回目の身売り(いずれもピアノ作りには素人のオーナー)をしていて、利益を上げるためにニューヨーク・スタインウェイの品質が最悪だった。
私が度々、フランツ・モアや営業のジーン・タッパーに、「こんなので本当に良いと思ってるの?」と聴くといつも「俺の立場を考えてくれ…」と上層部には何も言えない苦しい立場を説明し、そしてお互いにため息(苦笑)
そして、ホロヴィッツが亡くなって数年経つと、腕の良い職人が1人、2人とスタインウェイ社を去っていった。
それでもマンハッタンのショールームにはH.Z.スタインウェイ氏が名誉社長として残っていて気さくに色んな話を教えてくれた。


思い返すとクラシック・ピアノ業界最後の栄光の歴史を垣間見ていたような気がする。
残念ながら今の世界中のピアノメーカーの経営者たちは、価値観が全く違うのだろう。夢のない業界になってしまった。
実はこの日記を書いているのは2022年8月24日。
フランツ・モアが亡くなって、日記を書く気にもなれず半年近く経ってしまった。
しかし私自身が気を取り直して、あの頃の歴史の最後の目撃者として後世に書き残していかなきゃならないね。

長い長いレコーディングのまだまだ2日目。
例によって秩父ミューズパークの床の太鼓現象でセッティングに苦労。
私はこのホールがオープンした時から数百枚のCDレコーディングをやっているので、ここのホールの利点も欠点も熟知しています。
当時はDENONの名エンジニア岡田さんといろんな実験をやりました。
山の上にポツンと建ってるホールなので抜群のS/Nの良さと引き換えに、外壁が1枚で季節の温度湿度の問題。

春か秋にレコーディングする(春は猛烈な花粉との戦い)のが望ましいが、ともかく1日のホール内の温度湿度の変化には閉口します。
夏は朝に調律しても夕方までには低中音域が下がりオクターブが合わなくなるほど変化します。
そこで調律を直すと夜には温度が戻るのでまたピッチが上がり、冬はこの逆。
これに冷暖房を入れたり切ったりで更に複雑に変化するのです。
まぁこれは慣れたら調律を直すタイミングを曲との兼ね合いで判断できるけど、床が太鼓なので低域が膨らむのは大きな問題。
ステージのあらゆる場所にピアノを移動して、床の梁を探して硬い所にキャスターを置きます。

ステージ端ギリギリに置いたことも何度もあります。
床に大きいコンパネを敷き詰めて実験したのはとても効果がありました。
コンサート調律の経験少ない調律師は、聞いた話や想像で「キャスターの向きを変えたら音が遠くまで飛ぶ」とか言ったりしますが、百戦錬磨のレコーディングエンジニア達との仕事では、明らかにわかるほど変わらないと認められません。
また、そんな暗示にかかるようなエンジニアは一流ではありません。
当時、この音楽堂の床実験はエスカレートして、ステージの床を諦めてピアノを客席に下ろしたいと言ったら、ホール側も一生懸命協力してくれて、なんと150万円位かけて中央の客席前列を5列ほど外れるようにしてくれた!
バブルだったねぇ~。
ピアノを床に引きずり下ろしてレコーディングしてやっと床の問題は解決したけど、その手間を考えると他のレコー会社では無理だね(笑)。

写真は994年頃、客席に下ろして初のレコーディング。
フランス人のアラン・ジャコンの時。彼もその音の良さに大喜びしていた事を思い出します。
今回はピアノの周りに重量物を置いて床の共振を防ぐ方法にしたのでピアノの周りにいろんな物が置いてあるのはそのため。
本日も無事にレコーディングが終わって初めての居酒屋で晩御飯。またまだ序盤!
镸い長いレコーディングの始まり。
もちろん事前に選定したピアノ持ってきましたよ。
朝6時にアーバンにピアノ積んで渋谷を出発。

まずは秩父倉庫に寄って置きっぱなしのジャガーに乗って2台でミューズバーク入り。

長丁場なので、アーバントラックも運搬車も秩父に留置しておけないので、こちらでの足はジャガーを引っ張りだしてきました。
さて今回はM川さんのラヴェル全曲集。
二枚組の壮大な企画だね。
この季節の秩父MPは温度湿度の差が激しくてピアノには過酷なので私は忙しい(笑)


しかしテクニック抜群なので楽しみな仕事です。
宿はいつものルートインではなく「みやび」というウイークリーマンションのようなホテル。
長丁場だな~大変だ。
渋谷を朝7時半頃に出ても、三島には朝九時前に着くのでびっくり。
1時間ちょっとで着くんだね。

ここには何度かピアノ持ってきた事があるけど、今日はホールのピアノの調律。
用意されていたピアノは我社のキヨシ君とほぼ同じ頃の年代だった。

大体ホールのピアノはがっかりたけど、これはなかなか良いピアノ!
最高音セクションに入った辺りが弦切れの兆候ありで残念だったけど(切れると厄介なのであまり強く叩けない)、それ以外はなかなか良い楽器だった。
両端の鍵盤が下でパカパカするのでチェックしたら拍子木のネジが左右ともユルユルに緩んでた。
これは前の調律の人が忘れただけ?締めたらパカバカは直ったので、はてな?でした。
新幹線で14時には渋谷に戻ったので、なんだか埼玉の方に車で行くより早いなぁ~新幹線便利!
午前中は代官山教会の調律。

アーティストに引き渡してサロンに戻り今夜の銀林さんのコンサートの調律。
先週のレコーディングのプロモーションも兼ねてのコンサートなのでサックスも入ってなかなか楽しいコンサートでした。

今日のお仕事は群馬でC型の調律をするついで、にアップライトの象牙鍵盤剥がれの修理。
相当古い楽器なので写真を見る限り結構黄ばんでいます。

そこは物持ちの良い私なので古いピアノから外した黄ばみ具合が似ている象牙を探して持っていきました。


ぴったり色も合って良かったですね。
ヴィンテージの修理には欠かせないスペアパーツ。
さて会社に戻ったらスタッフは出払っていて誰も戻っておらず、待っていても仕方ないので、L型のフレーム組付けをやりました。
これはヴィンテージのL型、Soundboardのcrackを埋めた時にNoseBoltも外したので元通りの高さに測りながら組み込む作業。
油圧の台車を2台駆使して一人で組込。

着々とオーバーホールは進んでいます。
今日はコロムビアチームとレコーディング。


バンドネオン、ピアノ、ベースヴァイオリン、ギターのあの人達が集合。
ディレクションはO氏。

役員から現場に戻ってきた彼とは30年位のお付き合い。
O氏も現場が楽しいとつくづく言ってます。
ツクツクO氏、ツクツクO氏と泣いてます。
またまた本郷台のリリスホールです。
今日はフランス在住の銀林さんが久しぶりの来日でレコーディング。
前回と同じニューブルク指定です。



エンジニアはいつもの酒井さんなので得意の屋根外し。
ステージ上でディレクションするので、私の為に楽屋を借りてケーブルを引いてモニターを設置してくれます。
ホール内ではアンビエントにごまかされて調律の微妙な狂いが聞こえないからです。
相変わらず元気な銀林さんは楽しくレコーディングを終了し、不思議なビデオまで撮って

本日のセッション終了。
久しぶりにプレイエル出動です。
昨日のリハーサルから搬入だったので昼過ぎに到着したのですが、現場でびっくり!
円形ホールは以前、搬入したことがあるとタカをくくってたけど、ここは運送屋のサブちゃんが入れたんだった!

搬入口はなく、テラスのような所から階段越しに入れる!
しかも建物の周りは芝生でトラックは手前までしか入れず。
なんとか歩み板を付けてここまで入れたけど、あとは管理人のおじさんが手つだってくれて手で持ち上げて入れた!
汗だく!管理人のおじさんありがとう!
全部終わってからニコニコと川口君登場(笑)

リハーサルをやってる間にホームセンターへ行って、サッシを傷めないように敷き詰める角材等を調達して、今夜のホテル登り坂へ。
以前、ステラシアターでの河口湖音楽祭のとき、何度か来たことあるホテル登り坂。
古いイメージで来たらなんと新築の本館か出来ていて窓から富士山見えるし最高でした。

朝食はまあまぁだった(笑)
さて相変わらずの人気の川口君の本番は追っかけもいるのでほぼ満員。


ここの客席数は100人だから、このくらいのサロンを松濤に作りたいなぁ。
円形ホールは響きが独特。対面するコンクリートの壁があるので、若干鳴龍現象が起きるのが少し難しいけど、二階に座って聴いてたらなかなか良く鳴ってました。
搬出は覚悟していたので頭を使って難なくクリア。
渋滞の中央道を避けて20号で帰りました。
ここのところ毎日、レコーディングスタジオの調律が続きます。
スタッフも忙しく調律に回っているので私が担当。


著名Youtuberのあの人が半月位ずっとレコーディングしています。
相当お金かけてるねぇ~。
このレコーディングスタジオは基本立会なし、何かあっても車で5分で行けるので、安心です。
朝の調律終わったら会社に戻り、CB229のオーバーホールを続けています。

完成が楽しみ!モアさんありがとう!
伊勢在住の西井さんから紹介されたお客様宅へ、グランドピアノ納品のため、人力でトラックに積み込み一路伊勢へ。


早朝に出発して、15時に現地の運送業者さんと待ち合わせて、あとはよろしくお願いしますと渡して夜は晩餐会。
伊勢に泊まって、翌日尾鷲に寄ってトンボ帰りでした。
帰りはトラックのエアコンが壊れて汗だく!
窓を開けてぶっ飛ばして帰ってきました。
ピアノ積んでいた行きに壊れなくて良かった~