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変わりゆく時代

フランスから訃報が届いた。ジェルメーヌ・ムニエ女史が昨日(現地では26日)亡くなったそうだ。

ムニエ女史とはいろんな思い出がある。
15年くらい前の話だが、曲の音楽性についていろいろ論議があって、それならば当然、作曲者に聞くのが一番正確だろうという当たり前の結論になるのだが、クラッシックの作曲者は殆ど遠い過去にお亡くなりになっているので、「その弟子は?」といっても例えば自称リストの弟子などという人は、代々たどれば何百人という規模になってしまう。
その中には師匠が名前すら知らない人も大勢いるが、せめてアシスタントをしていた人なら、まず間違いないであろう・・。

というわけで、世界中にアンテナを立てて探しては見たものの、やはりモーツァルトやベートーヴェンは余りにも時が経ちすぎていて探しようがない。
ではドビュッシーなら、と調べてみたら、1918年に没。アシスタントは、かのマルグリット・ロン、残念ながら1966年に没。マルグリット・ロンのアシスタントがムニエだった。
コルトーのアシスタントもやっていたし、なんといってもコンセルヴァトワール在学中にラヴェルの前で「水の戯れ」を弾いた経験まであるのだから、これは音楽史の生き証人に違いない・・と早速交渉。95年に日本に招聘してレコーディングや公開レッスンを企画した。

メインのドビュッシー「喜びの島」のレコーディングでは、最初の1音から驚かされた!音楽性云々などではない、有無をも言わせぬ説得力があった。
当時75歳。恐らくこの世代の教授では一番弾けるという噂どおりの演奏だった。
レッスンの内容にしても、「この楽譜のこの記号は何年に改定された時のプリントミスです。」などズバッと指摘できる唯一の先生でもあった。

戦前のヨーロッパでのピアノ事情についても語り合ったことがあるのだが、「ヨーロッパでも戦前はスタィンウェイはアメリカのピアノという認識が強く、あまり一般的ではなかった」と言い私の持論を証明してくれた。
その後98年、再度日本に呼んで、「ショパンへのオマージュ」を録音したが、これがラスト・レコーディングになってしまった。この2枚のCDと、公開レッスン、プライベートレッスンのビデオやインタビュー映像。パリでムニエ御夫妻にご馳走になった<沈める寺の近くの海辺にある牧場で育ったロースト羊>のおいしかったこと等々、全てが私の財産だ。

こちらのほうが先にバテてしまいそうなぐらい本当にエネルギッシュな方で、また一緒に仕事がしたかったのだけれど、ここ最近体調がすぐれなかったようで、心配していたのだが・・・本当に残念だ。

先日はヤマハの調律師辻 文明さんも亡くなった。
何だかまた一つ時代が変わっていくような気がする・・。

 合掌。